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よみがえる1970年代のプロ野球

日本シリーズ/勝負が動いた名シーン 頂上対決のドラマ【セ・リーグ編】

 

70年代の日本シリーズはセが6回、パが4回が制した。セは巨人が70〜73年の4回、ヤクルト広島が初の日本一に輝いた。
週刊ベースボール 別冊空風号 よみがえる1970年代のプロ野球 EXTRA(1) セ・リーグ編
2022年11月28日発売より


【PART.1】広岡ヤクルトが初の日本一も記憶に残る1時間19分の猛抗議


1978年/第7戦(後楽園) ○ヤクルト 4-0 阪急●

打球方向を見つめる大杉。足立は振り向きもせず


 リーグ初優勝を飾ったヤクルトが日本一4連覇を狙う阪急に挑んだシリーズ。下馬評は阪急有利ではあったが、広岡達朗監督率いるヤクルトが奮闘して3勝3敗。勝負の行方は第7戦にもつれ込んだ。

 先制点はヤクルト。5回裏に二死二塁からヒルトンの内野安打で1点を奪う。問題のシーンが起こったのは続く6回裏だった。大杉勝男が阪急の先発・足立光宏から左翼ポール際に高々と打ち上げた。本塁打か、ファウルか。微妙な打球の行方だったが、線審の判定は本塁打。しかし、この判定を不服とした阪急の上田利治監督が「ファウルや!」と三塁ベンチから血相を変えて飛び出して来た。線審に詰め寄る上田監督、そこに阪急の選手たちも集まって来た。

 判定が覆ることはない。上田監督の猛抗議もやがて終わると思われたものの延々と続き、選手をベンチへ引き揚げさせ、なおも続いた。ボイコットも辞さない構え。最後は金子鋭コミッショナーも登場し、ようやく試合が再開された。1時間19分の抗議時間はシリーズ最長時間だ。

 2対0とリードを広げたヤクルトは再開直後にチャーリー・マニエルが、8回には再び大杉が本塁打を放って4対0。エース・松岡弘の完封勝利で日本一を決めた。上田監督はこの責任を取ってシリーズ後に監督の座を退いた。

【PART.2】阪急・山田から王が決めた! 9回二死からの逆転サヨナラ弾


1971年/第3戦(後楽園) ○巨人 3x-1 阪急●

 1勝1敗で迎えた第3戦。第2戦の先発から中1日で再び先発マウンドに立った阪急の若きエース・山田久志は完璧な投球を続けていた。V7を目指す巨人打線を・・・

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