某月某日、佐藤道郎氏が経営するスナック『野球小僧』に現れたのが、江本孟紀氏と関西からわざわざ“遠征”していただいた福本豊氏。3人は同じ1947年生まれ。1970年代のパ・リーグで切磋琢磨したひとクセもふたクセもある男たちである。 構成=井口英規 週刊ベースボール 別冊冬桜号 よみがえる1970年代のプロ野球 EXTRA(2) パ・リーグ編
2022年12月27日発売より 左から佐藤道郎、福本豊、江本孟紀
バットでもやられた2人
──今回は1970年代のパ・リーグがテーマです。江本さんのYouTube(『エモやんの、人生ふらーりツマミグイ』)とのコラボ企画となりますので、江本さんに進行役をお願いしていいですか。
江本 いいの? 悪いほうに誘導するよ、俺の場合(笑)。
──やばそうなところはカットします(笑)。YouTubeと見比べれば、忖度(そんたく)がバレそうですが(※文章化する際、“やばいとこ”以外も一部再構成してます)。
福本 それにしても南海は強かった。
佐藤 冗談言うなよ!
江本 思ってないやろ、あんな弱いチームに何で負けたんやと思ってたんやないか(1973年のプレーオフで南海が阪急を破った)。強かったもんな、阪急は。
佐藤 雨で流れて先発ローテが崩れたとき、野村(
野村克也)さん(兼任監督)が「阪急戦、誰が先発で投げるんだ。投げたいやつ手を挙げろ」って言っても、誰も手を挙げんかった。それが近鉄だと一斉に挙げる(笑)。(近鉄は)四番で土井(
土井正博)さんはいたけど、ほかは大して打たなかったからな。
江本 ノムさんがいつも「誰もおらんから、お前行け!」と言うから阪急戦は俺が一番多かったと思うよ。やられるの分かって行くんや。あほくさい、あほくさい(笑)。
福本 エモは、あんまりやりやすいとは思わんかったけどな。でっかいし、あの大きなカーブが厄介で。
江本 フクにはやられたで。一度、データで初球は打たんとあったのに、ホームラン打たれたことがあったな。
福本 それ覚えてない。1球目は「打つな」言われたからね。後ろのバッターに見せないかんと。二番、三番、四番のため、相手のピッチャーの球を1球でも多く見せんかいと言われていた。だからポン、ポンとストライク取られても徹底しよった。
江本 西本(
西本幸雄)さん(73年まで阪急監督)が言ったの?
福本 じっちゃん(西本さん)やないよ。中田(
中田昌宏)さん。バッティングコーチと外野守備コーチをやっていてね。ストレート、変化球と1つでも仰山見せえってね。
佐藤 俺はノースリーからサヨナラ本塁打を打たれたからな。3試合連続サヨナラ本塁打を食らった世界ワースト記録の2本目や(笑。73年)。
福本 あったんやな、そんなこと。
佐藤 次の日の新聞に「ノースリーから打ったのは初めて」ってあった。いつもと同じにやっとけって(笑)。
福本 こんなチビのバッターがノースリーからやからな。長池(
長池徳二)さん(阪急。79年は徳士)だったらノースリーから行けもあるかもしれんけど。
江本 俺は初球でミチはノースリーか。どっちも話が違うな、フク(笑)。
福本 たまにあるんや。
佐藤 2人とも、世界の福本にはバットでもやられてるということやな。
江本 でもな、俺がいつも感心するのは、みんな100盗塁ばかり言うけど・・・
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