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よみがえる1970年代のプロ野球

1970年代再録インタビュー 懐かしの対談【パ・リーグ編】

 

ここからはバックナンバーから懐かしの対談をお届けしよう(一部抜粋)。
週刊ベースボール 別冊冬桜号 よみがえる1970年代のプロ野球 EXTRA(2) パ・リーグ編
2022年12月27日発売より


週刊ベースボール 再録インタビュー1
【森昌彦のレギュラー対談】野村克也×森昌彦


野村克也[南海監督]


南海の選手兼監督だった野村克也と、前年に引退したばかりの巨人V9時代の正捕手・森氏のキャッチャー対談は1975年開幕直前に実現した。当時野村は39歳、森氏は38歳だ。(1975年4月7日号)

いいキャッチャーがいない

野村 長いこと野球やってますなあ。

 こっちが言うセリフだ。

野村 俺らはプロだからなあ、あんたらでも早くやめ過ぎるよ。アルトマンを見なさいよ(前年の74年に大腸がんでシーズン途中に帰国したが、75年はロッテから阪神に移籍して復帰)。あれがプロやで。

 本当だね。

野村 引き際というのは確かに難しいけれども、きれいに惜しまれて引くのと、泥にまみれてでも、という引き方とあると思うんだけど、俺はやっぱり泥にまみれてのほうがプロであって、きれいな引き際というのはアマチュアだと思うんだよ。アマチュアだったら、いい記録を残してサッと引くという、これがアマチュアであって、プロは生活がかかっているんだから……。

 それと日本の場合と言ったらおかしいんですけれど、結局マスコミとかがすぐ年とか、もうだめだというふうなことを言いますでしょう。あと何年ぐらいしかできないとか。

野村 だからマスコミがもう年だ年だという宣伝をすると、ファンもそういう目で見るから、同じ打席で凡打して終わっても、それは年だ、というふうに即、結びつける。

 いや、僕自身もね、ノムさんがやっている間は自分でも(現役を)やっていたいと思ったし、またそのつもりで目標にしてきたのに、何かこっちが早くやめるような形になってしまって。

野村 惜しいわ、いいキャッチャーというのはなかなかできないからなあ。いつもうちらの選手にも言うんだけれども、野球というものの本質から言ったらキャッチャーというのは監督やで、というわけやね。

 現場の監督ですなあ。

野村 いいキャッチャーをつくりたいね、プロ野球も。

 そう思いますね。

野村 いま、いない。この間もキャッチャーのミーティングを2時間ばかりやったんだけれど、やっぱりいいキャッチャーを観察しろと言うんだね。だけど残念ながらいま、12球団を見渡しても、いいキャッチャーというのはいない。だから今まで俺たちと同年代でやってきたキャッチャーの中で、森と岡村(岡村浩二、阪急)を出したんだけどなあ。

 監督、キャッチャーのミーティングなんかでね、どういう形から入っていかれることが多いですか。まあ初歩的なことから入って実戦的な面、心構え、すべてでしょうけどね。

野村 まあ、キャッチャーの心理というのを一番やかましく言ったんだけれどね。やっぱりコンビネーションに入っていく前に・・・

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