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よみがえる1970年代のプロ野球

1970年代 思い出の助っ人たち【パ・リーグ編】

 

ここでは1970年代にパで活躍した助っ人を紹介。チームに長く定着した助っ人もいれば、わずか1年限り、また移籍を繰り返した助っ人も。
※※支配下登録選手および外国人枠となる選手のみ。帰化した選手は該当年から含まず。ポジションは登録のもの。成績は70年代の球団在籍時の通算成績
週刊ベースボール 別冊冬桜号 よみがえる1970年代のプロ野球 EXTRA(2) パ・リーグ編
2022年12月27日発売より


スペンサー 投手のクセを盗む強打者


スペンサー●阪急1964-68、71-72[内野手/アメリカ]
通算105試合、47安打、10本塁打、34打点、0盗塁、打率.254


 1964年に来日し、翌65年は南海・野村克也と打撃三冠を争った強打者。「打率は期待するな。阪急で私が本塁打を打たずして、ほかに誰が打つのか」と言ってアーチを量産した一方で高打率もマーク。投手のクセを盗むのもうまかった。68年限りで退団してアメリカに帰国後はレストラン経営などを行うも失敗。71年に選手兼任として阪急に復帰も、かつての打棒は鳴りを潜めて72年限りで再び退団した。

アルトマン 外国人初の200本塁打到達


アルトマン●東京・ロッテ1968-74[内・外野手/アメリカ]
通算553試合、593安打、138本塁打、417打点、14盗塁、打率.323


 在籍7年間で毎年20本塁打以上を放ち、1年目の1968年は打点王に輝いた。193cmの長身とチャリティー活動に積極的なことから“足長おじさん”との愛称で親しまれた。手足は長かったが、バットコントロールに優れ、選球眼も良かった。その成績もさることながら、野球に取り組む姿勢も真面目で熱心、チームメートに大きな影響を与えた。74年には6試合連続本塁打を記録。75年に阪神に移籍し、この年限りで引退した。

ロペス 陽気なプエルトリカン


アート・ロペス●東京・ロッテ1968-71[内・外野手/アメリカ]
通算248試合、296安打、45本塁打、146打点、6盗塁、打率.307


 球団はヤンキースで活躍していたヘクター・ロペスと契約を結んだつもりだったが、来日したら別人だったというのは有名な話。入団から4年連続で20本塁打以上、2年目から3年連続で3割をマークした左の巧打者。アルトマンとクリーンアップを組んで活躍して1970年のロッテ初優勝に貢献、陽気な性格で人気も高かった。72年にはヤクルトへ移籍したものの、オリオンズ時代の活躍はできずに73年限りで引退となった。

白仁天 移籍を経て晩年も輝いた不屈の男


 捕手や外野手として東映の主軸として活躍。勝負強さを備えた強打と俊足、「駒沢の暴れん坊」の一員として「武闘派」としても鳴らした。日拓を経て日本ハムとなり・・・

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