村田兆治 至上の剛腕
サインを求められると、いつも「人生先発完投」の文字を添えた。独特のマサカリ投法から150キロ超の剛速球と落差の大きなフォークを投げ込んだロッテのレジェンドエース。1982年に右肘を痛め、当時、「やったら選手生命が終わる」とも言われた靭帯移植手術を受けたが、厳しいリハビリの末、84年終盤に復帰し、85年は開幕から、ほぼ日曜日の登板で11連勝し、「サンデー兆治」とも言われた。通算215勝をマークし、90年限りで引退。以後もトレーニングを続け、60歳を超えても140キロ前後の球を投げていた。妥協を許さぬ頑固な性格で「昭和生まれの明治男」とも称され、生涯離島の野球普及に尽力したことでも知られる。11月11日、自宅の火災により一酸化炭素中毒で死去。72歳。
三沢淳 Gキラーのサブマリン
ドラゴンズ時代、
巨人キラーとも言われたサブマリン。尋ねると「僕のときに限って巨人が弱くなるのでは」と笑っていた。江津工高から新日鐵広畑を経て入団し、中日時代は2ケタ勝利5回。1985年、
日本ハムに移籍。通算107勝をマークし、86年限りで引退。その後、政治家にもなっている。3月3日、中皮種で死去。69歳。
阪本敏三 攻守のいぶし銀
1969年には盗塁王にも輝いた俊足堅守のショート。「僕は意外と歴史に絡んでいるんですよ」と言っていた。詳細は・・・
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