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ダンプ辻のキャッチャーはつらいよ

連載ダンプ辻コラム 第140回「江夏の引退試合で武田鉄矢さんとお話ししました」

 

引退試合で胴上げされる江夏


僕なら21球はなかった?


 今回は『週べ』の読者の方なら、百も承知の話から始めさせてください。有名な『江夏の21球』です。

 あれは広島と近鉄との日本シリーズ(1979年、大阪球場での第7戦)ですね。抑えになっていた広島時代の江夏(江夏豊)が、確か4対3になった7回二死から登板しました。

 阪神時代と比べると、お腹がポッコリして球は遅くなっていたけど、コントロールと、相手をおちょくるような投球術は変わっていませんでした。江夏は、阪神時代は速球派で、ほかに行ってからは技巧派と言われることが多かったですけど、それはちょっと違います。確かに阪神時代の最初のほうは球がとんでもなく速かったけど、すでに技も十分にありました。打ち気がないときは、ポンとど真ん中に棒球を投げ、決め球だけ力を込めるとかね。特にシーズン401奪三振の昭和43年(1968年)は、力も技も兼ね備えた化け物みたいなピッチャーでした。

 阪神時代との一番大きな違いはカーブですかね。フォームや、大して曲がらないのは同じなんですけど、阪神時代は、球が速過ぎて曲がらないうちにミットに収まったりすることも多かった。広島では球が遅くなった分、ちゃんと曲がるカーブになっていたけど、やっぱり変化のタイミングは遅かった。真っすぐのように来て、バッターの近くで曲がる。右打者のインローに収まる球は、当たってもゴロばかりでしたね。

 7、8回を無失点で抑え、1点差のままの9回裏です。江夏は先頭の羽田(羽田耕一)にヒットを打たれたあと、(代走の藤瀬史朗に)盗塁され、送球をショートがそらして無死三塁になりました。

 次の外国人(クリス・アーノルド)に四球を出したとき・・・

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