西鉄ライオンズ黄金時代の主砲であり、監督、打撃コーチとして多くの選手を指導した、中西太さんが5月11日、心不全で亡くなられた。90歳だった。 
豪快であり、かつ繊細な方でもあった
怪童伝説
「おお、きょうはなんだ。ワシはもう死に損ないだから、昔のことは全部忘れたぞ」
電話で取材のお願いをすると、いつもそう言われた。
それでもと粘ると、「じゃあ、家に来なさい」と言ってくれ、自宅で何度も話を聞かせていただいた。
新型コロナの流行以降、取材は電話ばかりとなったが、今年2月に所用で掛けたときは、いつもと変わらずお元気な声だった。突然の訃報にただただ驚いている。
1956年から3年連続日本一となった九州の雄『西鉄ライオンズ』。名将・
三原脩監督の下、投げては鉄腕・
稲尾和久、打線には中西さんをはじめ、
大下弘、
豊田泰光ら強打者がそろう『野武士軍団』だ。
打者・中西の特徴は、すさまじいばかりの打球スピード。「ファウルチップを打つとボールが焦げたような臭いがする」「ライナーに内野手が一歩も動けず、体に当ててケガをした」など幾多の伝説がある(ちなみにファウルチップの話を本人に言うと、「そんなことあるか」と大笑いしていた)。
義父でもある三原監督は自著『風雲の軌跡』(小社刊)で、こう書く。
『恵まれた素質、体力から回転する腰がビシッと決まり、ピカ一のリストがそのまま作動する。そのインパクトの瞬間、ほとんど鮮烈といえるくらいの力が放出される。約二十五度から三十度ぐらいの打球はライナーで飛ぶ。もっと低い、十五度ぐらいのライナーには思わず内野手がジャンプする。ところが、打球はそこからぐっぐっと三段階くらいのロケット上昇を続ける。そしてアッという間に左中間スタンドへ突き刺さる。それが「すごい」と思わずうなる中西打球の真価だった』
『怪童』の異名は高松一高時代からだ。3年生夏の甲子園では・・・
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