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ダンプ辻のキャッチャーはつらいよ

連載ダンプ辻コラム 第157回「僕のターニングポイントになった杉下茂さんの指示」

 

阪神監督時代の杉下さん


下向きの分岐点?


 6月16日、昔から仲のいい新聞記者のヨネちゃんと電話していて、たまたま、その中で杉下茂さん(元中日ほか)の話も出たんですが、そのあとテレビを見ていたら訃報が流れびっくりしました。しかも、同じ日に北別府学(元広島)もでしょ。北別府は大洋時代に対戦していますが、球がピュッと伸びて、変化球もいいピッチャーでした。僕は打った記憶がさっぱりありません。

 杉下さんの最初の思い出は、昭和29年(1954年)、中日が日本一になったころです。僕は小学校から中学校にかけての時期でしたが、何度かナゴヤ球場(当時は中日球場。ダンプさんは名古屋出身)に観戦に行っていた。バックネット裏最前列の内野指定席で見てた記憶がありますが、子どもだし、空いてたから勝手に座っていたんでしょう。

 当時、杉下さんがドラゴンズのエースというのは分かっていましたが、それほどはっきりした記憶はありません。ものすごく落ちるフォークボールが武器で、あとで杉下さんから聞いた話ですが、キャッチャーには「俺のフォークは捕らんでもいいが、体で止めてくれ」と言っていたそうですね。

 選手としての接点は、何回も話していますが、阪神時代です。昭和40年(65年)、ウエスタンで打点王を獲ったりして、「よし、来年から一軍で頑張るぞ」と思っていたとき杉下さんが監督になって、翌年の自主トレで僕を呼んだ。こっちは「一軍で頑張ってくれよ」と言ってくれるのかと思ったら・・・

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