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昭和ドロップ

オヤジたちの深堀りTALK 昭和ドロップ「わが青春のジャイアンツ」(中編)

 

今回は『昭和ドロップ!』書籍化記念企画として超豪華ゲスト、中畑清さんを招いてのスペシャル版第2弾! 場所は歴代ジャイアンツの選手にとって、なじみ深い東京ドームの『後楽園飯店』だ。それにしても皆さん、よくしゃべり、よく食べる……。
構成=井口英規
【前編】はこちら

二枚目は中畑さんの指示で「男は黙って腕を組め」だったが、槙原さんは遠慮して。このポーズ


定岡大あくび事件


──中畑さんは定岡さんの1年あとの入団(1976年)でしたが、定岡さんの最初の印象は。

中畑 そりゃ、サダ坊だよ! 典型的な自己紹介できないタイプ、『ダ、ダ、ダ、定岡です』ってね(笑)。でも、かわいかったよ! それが今は誰とでも普通に話すようになったんだから、環境が変わると人が変わるという典型的なタイプじゃないのかな。最初は、ほんとに純朴な鹿児島の田舎者でさ。

定岡 福島出身のあなたに言われたくない! 同じ田舎者でしょ(笑)。

槙原 僕の入ったころも、そんなにしゃべっていた印象はないですよね。

定岡 うん、確かに自分からはあんまりしゃべらなかった。聞くほうが多かったね。あのころは自己主張するのが嫌だったんだ。

中畑 慣れてないんだよな。田舎から出てきて、ドラフト1位で注目されて、アイドルみたいな扱いだったからね。ヘタなこと言えないというか。見ていて、そういう意識はあるのかなと思っていた。

定岡 そうなんです! ちょっと何か言ったら、すごく大きくなってしまうんですよ。だって、宮崎のキャンプの朝の散歩であくびをしたら、その写真が翌日の新聞にでかでかと出て『定岡大あくび』ですよ!(笑)。朝は眠いじゃないですか。ミーティングじゃないんだし、散歩であくびくらいいいでしょ! なのに、気合が入ってないとか、いろいろ書かれていたんですよ。そういうのが重なって、「ああ、しゃべったり、積極的に行動しちゃダメだな」と殻に入っていました。

中畑 注目されることに慣れてなかったんだな。考え方の違いだよね。俺はいつも目立ちたいというのがあって、むしろ、そういうチャンスがあればと、いつも狙っていたけどね。

定岡 中畑さんが20歳過ぎていたのもあると思いますよ。僕は入団当時10代だったから、慣れることができなかった。高校出と大学出の4年の違いは大きいと思います。

槙原 サダさんは遠征先でもあまり外に出なかったじゃないですか。

定岡 出ない、出ない。誰が見ていて、何を言われるか分からないからね。

槙原 僕はずっと「ああ、お金を貯めたいのかな」って思ってました(笑)。

定岡 お前は、また、そっちか(笑)。中畑さん! きょうはあなたがゲストなんだからどんどんしゃべってください。そうしないとマキが暴走しそうです(笑)。

中畑 しゃべろと言うならずっとしゃべってるけど、俺ばっかりしゃべっていいのか。

定岡 そこはうまくバランスを取って、時々、話を僕らに振ってくださいよ。最年長なんだから!

中畑 マキは、もう藤田元司さんが監督の時代の入団だよな。

槙原 はい。だから長嶋茂雄監督の1期目は知りません。

中畑 俺は・・・

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