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追悼企画

<追悼企画>2023さらば愛しの野球人

 

2023年もプロ野球史に名前を刻んだ野球人が天へ旅立った。目をつむれば浮かんでくる、その雄姿。輝かしい記憶は色褪せない。

門田博光 本塁打に惚れ抜いた男


門田博光[元南海ほか/1970-1992]


「惚れて、惚れて、惚れ抜いてトライしたら、打てるようになるんです」。本塁打は狙って打てるようになるのかという問いに、こう答えたという。アベレージ重視だった打撃スタイルを変えるきっかけとなったのは、プロ10年目、1979年の春季キャンプでの右足アキレス腱断裂だった。絶望の淵からの光明が本塁打。足は完全に元に戻らない。ならば、走る必要のない本塁打を打てばいい──。翌80年に自己最多の41本塁打、81年には44本塁打で初タイトルに輝く。南海ラストイヤーの88年には44本塁打、125打点で打撃2冠。MVPを獲得し、“不惑の大砲”は流行語にもなった。89年からはオリックス、91年からはダイエーでプレー。90年には大型新人・野茂英雄(近鉄)に対して「最初のホームランは俺が打つ」と闘志を燃やし、有言実行。そして92年、プロ最後の打席は野茂の前に空振り三振に倒れた。通算567本塁打は歴代3位。1月24日、死去が判明。74歳。

中西太 事欠かないフルスイング伝説


中西太[元西鉄/1952-1969]


 フルスイングにまつわる伝説は事欠かない。1953年8月29日の大映戦では当時史上最長と言われた160メートル弾が平和台球場で飛び出したが、自身は打球が低過ぎてフェンスに当たると思って全力疾走していたという。あまりのスイングスピードに、ファウルチップしたボールが焦げるにおいがしたという逸話も残る。左手首の腱鞘炎に悩まされ全盛期は7年と短かったが、打撃2冠は4度を数える。現役引退後は数々のチームで打撃コーチを歴任し、恩師と慕う打者は洋の東西を問わない。5月11日、心不全で死去。90歳。

杉下茂 フォークの“神様”の矜持


 日本で初めて本格的なフォークを投げた男にとって、この魔球は「“神様”用のボールだったからね。それも、絶体絶命のとき以外は放らない球でした」と笑う。普段の試合ではフォークは見せ球でほぼ直球中心。ただ、“打撃の神様”川上哲治(巨人)が相手になると話は別だ。その川上をして・・・

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