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豊田泰光のオレが許さん!

天才打者の死

 

榎本氏が一塁手だったことを書き忘れる新聞を何と言えばいいのか…


 プロ野球開幕よりも、オレには榎本喜八さんが亡くなったことがズシ〜ンとこたえましたねえ。オレより学年は2つ下だけど、年齢は1つしか違わない。オレもここで亡くなった人の原稿を書くことが多くなったけど、今回はちょっとショックでした。冗談でなく「次はオレか……」でしたもの。75歳でしたが、このへんが男の場合は、分かれ目という感じなのか……。ご冥福をお祈りいたします。

 榎本さんの思い出を語る前に、日刊スポーツにきつく文句を言っておきます。50年代をともに戦った、まあ、言ってみれば“戦友”です。その人が亡くなったのですから、家で取っているスポーツニッポン以外の新聞にも今回は目を通しました。3月30日付です。最初に目を通した日刊が何か変なのです。榎本さんの成績やエピソードはふんだんに載ってるのに、榎本さんがどこを守っていたのか書いてないのです。オレは読み飛ばしたのかなと何べんも読み直したのですが「元一塁手」の文字はとうとう見付からなかった。ついでながらこれは7版の駅売りの4面です。

 あのね、こんな失礼なことは、またとありませんよ。ご本人、ご遺族だけでなく、プロ野球を愛するすべての人に対して失礼ですよ、マッタク(これだけ断定的に書くからには、もう1度紙面を見直そうと、読んでみましたが、見出しにも写真説明にも「元一塁手」の4文字は見つかりませんでした)。いや、あきれ果てるとはこのことで、スポーツマスコミはどうなっちゃってるんでしょうねえ。思えば、榎本さんは野球殿堂にもまだ入ってません。野球界全体にボケが来ちゃってるんでしょうかねえ。

 オレに言わせればね、バッティングのうまさでは史上最高の一塁手ですよ。とにかく、打てないコース、高さというのがほとんどないのです。この点では川上哲治さんや大下弘さんよりも榎本さんの方が上です。これは断言できます。

 だから、あの稲尾和久が「榎本さんはいやだなあ」となった。左打者だから、稲尾なら内懐にスライダー(ほとんどカットボールです)を投げ込めば一丁上がりだと思うのですが、榎本さんはこのボールをとらえるだけでなく、その打球はファウルにならずに一塁手の頭上を越えてゆく。まあ、見事な内角打ちでした。内角をさばかれると、これはもう攻めようがない。

 先週号の「週ベ」の記事にもありましたが榎本さんが1年目の55年に得た四球87は12球団最多。オレの記憶じゃね、選球眼が良かったというより、パ・リーグの投手が、驚異のルーキーに対して、早くも逃げに回った、と言う感じでした。西鉄の投手がそうだったもの。でも、投手が逃げても、死球10個(リーグ最多)。こんなすごいバッターは他にいませんよ。

 その榎本さんが、5年間3割の壁を破れなかったのは不思議ですが、各球団のエース級が「打たせるものか」と抑えにかかったからです。榎本さんに打たれると自分もみっともないし、毎日・大毎を優勝させることになる。これがイヤだった。特に関西の老舗電鉄系チームは、戦後、ポコッと現れた東京の成り上がりチームを敵視してましたからね。阪急の梶本、米田、南海の杉浦といったところは、必死で投げたハズです。もちろん西鉄の投手も。

 でも、6年目の60年になると、面白いように打ちまくって初の首位打者。榎本さんが打ちまくったらやっぱり大毎は強い。この年10年ぶりのV。物静かな人でねえ。移動の列車で呉越同舟となることもありましたが、求道者のような雰囲気でした。ベンチで座禅を組んだことを面白おかしく報じた新聞もありましたが、そこまで自分を追い込める野球人であることにどうして感動できないんですかねえ。ここにも球界のボケが現れています。もう1度言うけど、本当にすごい打者でした。

榎本一塁手のバッティングは、あの稲尾投手すらカモにするハイレベルなものだった。[写真=BBM]



新外国人の初打席にバントはないだろう!今年もバント野球は死なずか…


 開幕に触れるスペースが少なくなってきましたが、1つだけ言っておきます・・・

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