武田鉄矢さんが、テレビで、東京から博多まで直通の寝台特急「あさかぜ」の話をしていたのが興味深かった。「あさかぜ」は1958年(昭和33年)から走り始めましたが、オレもこれを利用した1人ですよ。でも、それはずいぶん後の話ですが。
武田さんによると、「あさかぜ」の最高クラスの料金は東京-博多間で9200円。この58年の国家公務員の初任給が9200円。エ、エッ? 単純比較はできないけど、いまの大卒初任給が20万円ぐらいでしょうから、博多まで20万円もかかっちゃうんだ!
貧乏球団西鉄は、とてもそんないい席を用意できるハズもありませんが、まあ、最低クラスでも、かなりの額になったことでしょう。40人ぐらいが移動するんですから。
でも「あさかぜ」での全員移動なんて60年代に入ってからのことでね。先日亡くなった
尾崎行雄君(彼については後で書きます)が東映に入団した62年ぐらいからじゃなかったですかね。
西鉄はとにかくケチケチ球団で、大阪遠征を終えて、早く福岡に帰りたい新婚組は(オレもその1人でした)、出発の早い列車に乗りたい。しかし、「乗りたいのなら自腹切って乗れ」が球団の返事。長距離移動だと、弁当代もどきをくれるのですが、こんな金額じゃあ、若手はお腹を満たせない。まず、遠征に小遣いを持ってきとらんのだから。で、
大下弘さんなんかが「オイ、これでうまい弁当を食ってくれ」とカネを出してくれる。
このベテランの気遣いに若手は感激しちゃって、彼らは一生懸命に我々を応援してくれる。つまり、ベンチがひとつになる。まあそんな時代でした。
コミッショナーは諫言(かんげん)できる人を集め、聞く耳を持て。最後の仕事だ
それから半世紀以上。こういう先人たちの苦労をまるで分かっていない人が、球界のトップに居座ってふざけたことを言って、世の中にバカにされています(加藤コミッショナーは、今回の一件について「不祥事ではないが、大きな失態」なんて意味不明のことを言ってますが、不祥事にして大失態でしょうが)。我々の努力とは一体何だったのか、とアホらしくなってきますよ、ホント。
数年前に、加藤コミッショナーがまだ駐米大使のころ・・・
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