7月17日付の新聞に目を通したら何だか知らんうちに都市対抗はこの日でベスト16決定、プロ野球もこの日で前半戦終了、オールスターになろうとしていたんですね。かつてはアマとプロの最大のイベントの1つだったのに、オレのような元野球選手でも「何だか知らんうちに」と、その存在を忘れてしまうようなことになっています。寂しいし、悲しいことですよねえ。
いまの若い読者は知らんでしょうけど、昔の都市対抗の人気というのは、ものすごかったんですよ。どの都道府県にも、それなりの強いチームがあって、茨城にも日鉱日立やオール水戸(我々のあこがれのチーム)らの強いチームが後楽園(当時の都市対抗の会場です)を目指した。大昭和製紙と熊谷組の対戦となったら、
巨人戦顔負けのお客さんが集まった。石井藤吉郎さんのころの大昭和や古田昌幸さんのころの熊谷は、ひょっとしたら、プロの並みのチームより強かったんじゃないですか。
プロのオールスターも、我々のころは、パ・リーグの選手にとって、自分をアピールする最高の舞台でした。だって、プロ野球のテレビ中継といったら巨人戦しかないんですから。だから、西鉄の
三原脩監督や南海の
鶴岡一人監督は「セ・リーグがナンボのもんじゃい。やったれ!」と我々の尻をたたいて、セ・リーグに立ち向かっていった。この敵がい心というか、対抗意識というか、こういうものはプロの選手には大事なんですよ。監督に乗せられ、自らも乗っていったパ・リーグの選手たちは、いま風に言うなら、最高のパフォーマンスを見せて、セ・リーグをやっつけ「人気のセ、実力のパ」というのがオールスターのキャッチフレーズになった。オレなんか・・・
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