週刊ベースボールONLINE

オーロラビジョン

中日・西川健太郎 届かなかった聖地で挙げた初勝利

 



 西川健太郎は、今も語り草となっている松井秀喜の「5敬遠」の翌年に生まれている。「明徳義塾高戦は1992年のことですよね? あの試合も箕島高戦のことも映像では見たことがあるんです。それにいろいろな方から話を聞く機会もありましたし」

 星稜高の歴史は語り継がれている。伝統のクリーム色のユニフォームにあこがれ、甲子園を目指した。星稜中では軟式の全国優勝を勝ち取り、今度は高校でという思いもあった。だが3年夏は石川県大会の準決勝で散った。同学年の釜田(楽天)のいる金沢高が相手だった。ただし、星稜高は負けたが西川は負けていない。

「その日の朝、先発が僕じゃないって聞いたときは『エッ!』とは思いましたが……。それはチームの方針なので。負けた直後は涙も出ませんでしたが、学校に帰ってみんなが泣いているのを見て、僕も泣けてきました」

 決勝を見据えてのエース温存策は裏目に出た。先発投手が3回途中で5失点。あわてて西川を投入したが、間に合わなかった。自身は無失点も2対5で最後の夏は終わった。中学では西川が勝った。高校では先に釜田が名を上げた。雌雄を決するはずの夏だった。

「中学から一緒にやってきた仲間と甲子園に出たかったという思いは今もありますが、出られなかったことが今に生きている、というのはないですね」

 届かなかった甲子園で、2年後にプロ初勝利を挙げた。7月31日の阪神戦で7回二死まで完全投球。その3日前に、母校も6年ぶりの甲子園出場を決めていた。「後輩たちより前に、僕がここで勝てて良かった」。何よりの激励となったはずだ。
オーロラビジョン

オーロラビジョン

週刊ベースボール各球団担当による、選手にまつわる読み物。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング