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桧山進次郎 外野手24

最後は看板選手となり、最後の打席も本塁打

 



 シンデレラストーリーだった。桧山進次郎は「すごい道のりやったと思います。自分1人で何人分もの経験をさせてもらった」とタテジマでの22年間を振り返った。「ファームから育て上げてもらって、一軍に上がって、四番を打たせてもらって、控えになって、自分で四番を打つようになって、選手会長もやらせてもらって、そして、代打ですからね」

 平安高から東洋大を経て1991年度のドラフトで4位指名され阪神入りした。「巨人がオロナミンCなら僕はリポビタンDのCMに出たいです」。そんな関西風の明るさがファンにウケた。

「即戦力で入ったけど、プロの一軍レベルでは無理やなと思いました。2、3年は体力作りでしたが、遠回りになるけどやらなきゃいけないと思った」

 レギュラーの座をつかむきっかけになったのは95年に、不振の亀山に代わって右翼に就いたこと。しかし、96年から3年続けてシーズン100個以上の三振を記録。特に沈むボールにもろかった。

 桧山の努力は流した汗とともに実った。マシンを速い数値に合わせ、バットを短く持って打ち続けた。97年には四番を打つようになり、その年も含めて3度のオールスターに出場する。

 03、05年リーグ優勝の立役者でもあり「代打の神様」と言われるようにまでなって、まさに虎の看板選手にのし上がっていった。

 今季のクライマックスシリーズ第2戦の現役最終打席で代打ホームランを打つなど、記録にも記憶にも残る選手だった。桧山は「いつか野球界に恩返しできる桧山進次郎でありたい」と現場復帰を熱望している。
オーロラビジョン

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