不本意な数字が並んだ。2015年まで3年連続で打率3割をマークしていた
銀次は、125試合に出場し打率.274、2本塁打、43打点。主軸として期待された安打製造機としては、物足りない結果に終わり「誰もが納得できない1年だし、自分もそう。個人的には最低な年だったかなと思います」と振り返った。
選手会長として臨んだシーズン。序盤から不振に苦しんだ。4月から打率は2割5分前後に低迷。打率.236まで落ち込んだ6月12日、一軍に定着した12年以降、ケガ以外では初めて登録を抹消された。「ヒットを打てない中、打ちにいったときにバットをボールに当てようとし過ぎて、体が小さくなっていた」と分析した。
取り戻したものもあった。二軍で再調整した際、15年まで一軍打撃コーチを務めていた平石二軍監督に助言をもらった。
「体を大きく使うこと。平石監督から『いいときはこうだった』と言ってもらったことがきっかけだった。気付かせてもらったので、いい年だったかもしれない」
一軍復帰後、徐々に打率は上昇カーブを描いた。
来季へ、背負うものも増えた。8月に地元・岩手を襲った台風被害。子どものころから使っていた球場は、泥で埋まった。
「すごく悲しくなった。これから先、自分にできることがあれば何かしたいし、球団も協力してくれると言っている」
大震災以降、常に心にある被災地への思い。来季こそは結果で、地元へ笑顔を届ける。