日本球界でも歴代屈指の最速161キロを誇る右腕にとって、来日4年目の今季は挑戦のシーズンだった。これまでのリリーバーから、先発への転向。ただ8月までの成績は、先発6試合で0勝4敗の防御率6.55。救援2試合を含め登板した8試合でチームは全敗と、終盤戦まで結果を導き出せないまま過ごすこととなった。
思えばR.スアレスの先発起用は、
工藤公康政権5年目の目玉戦術の一端だった。投手で股関節手術明けのD.
サファテで外国人1枠、野手でA.
デスパイネかY.
グラシアルで1枠を使い、残る2枠を外国人投手で「ローテーション」するというもの。そこでR.
バンデンハーク、A.ミランダとともに先発要員として浮上したのがスアレスだった。
指揮官は「もともと球種も多い」「ヒジのこともあり、連投より間を空けながら」と意図を語っていた。ロジックとしては妙手だ。ショートスターター、強打者の二番起用などMLB式の戦術が珍しくなくなった昨今でも、豊富な資金力を背景に潤沢な外国人選手層を誇る
ソフトバンクならではの、ユニーク戦術とも言えた。
先発でも160キロに迫る球を投げたスアレスだったが、打者に対しては決め手を欠く嫌いがあった。中でも初回に50球投げながら無失点に抑え「怪投」と評された7月31日の
西武戦(メットライフ。4回無失点で勝敗つかず)が象徴的。かつては作業員や運転手として生計を立て、草野球からメキシカン・リーグを経て来日したサクセス男の次なる方向性はいかに――。
写真=BBM