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“アベノミクス”より、はるかに大胆かつ、実効性があった“イケノミクス”。その池田首相も広島の弱さだけは……

 

文=岡江昇三郎


 選挙では大勝したものの、“アベノミクス”の評価は、サッパリ上向きにならない。安倍首相、ここは、写真のこの人にアドバイスを仰ぐべきでは。と言っても、この人は、すでにこの世の人ではないのだが……。

 この人が、いま内閣総理大臣なら、その経済政策には、間違いなく“イケノミクス”の名が付けられたハズだ。何しろ、60年、首相に就任すると「私は、10年で所得を倍にいたします。私はウソは申しません」とブチ上げたのだから。このご時世、給料が倍になるなんて話をだれが信じるだろうか。これはホラ以前の、はなはだけしからぬ無責任な放言であると非難されることだろう。当時でもそんな雰囲気で、田舎の小学校5年生だった筆者でさえ「そんなことがあるワケねえべ」と、バカにしたものだ。しかし、このジイさんの言うとおり給料は倍になった。しかも、たしか、8年後に。もっとも、このジイさん、池田勇人首相は、65年8月13日に死去しており、倍増達成をその目で確かめることはできなかった。

 写真は首相就任直後の60年10月11日、川崎球場で行われた大洋-大毎日本シリーズ第1戦の始球式に臨む池田首相。右は、球審を務めた島秀之助セ・リーグ審判部長。

 池田首相は広島県出身で大のカープファン。しかし、万年Bクラスチームの弱さにはイライラしていた。同じ万年Bクラスチームの国鉄を資金援助していたサンケイ新聞の水野成夫社長とは、同じ亥年生まれ(1899年)で親友同士だったが、広島には国鉄のエース・金田正一投手に抑えられ、四番・豊田泰光遊撃手にホームランされ負けるという“必敗パターン”があった。池田サン、堪忍袋の緒が切れて「水野君、豊田の電話番号教えろ!」。で、豊田宅に「池田ですが。アンタ、よう打っとるが、カープの試合に打ったらいけんよ」の電話。「あんなビックリしたことはなかった」とは豊田氏。
おんりい・いえすたでい

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