作家、英文学者で、文化勲章受章者の故・丸谷才一さんが、生前、ちょっと意外なことを語ってくれたことがある。「僕は英会話が、自慢じゃないがてんでダメ。読む、書くはできても」。
ジェームズ・ジョイスの難解な英文を翻訳する人が、威張るように(?)「てんでダメ」というのが面白かった。丸谷さんに限らず、戦前に教育を受けた外国人文学者が、会話ができないというのは、多分、日本独特の事情で、旧制高校から旧制大学の外国語教育は、ひたすら読むだけ。
対照的に、ドナルド・キーンさん(丸谷さんより3歳年長)のような外国人の日本文学研究者は、見事な日本語を話す。これは語学教育の思想が違うのだ。キーンさんは日本人になってしまうほど、その国の言葉を愛し、それにおぼれる。彼にとって外国語を学ぶとは、そういうことなのだ。
日本のプロ野球にも、キーンさんのような外国人がいた。その名は
ロベルト・バルボン。55年に阪急入団、盗塁王に3度輝いた名二塁手だ。もう30年以上前になるが、彼に「僕、日本人やで。いままでガイジンと思うたことはいっぺんもあらへんのや」と完璧な関西弁でまくし立てられたことがあった。彼は日本人になり切る必要があったのだ。
キューバ生まれで、いずれはメジャーへが夢だった。しかし、日本でプレーするうち、キューバに革命が起こる(58年)。年齢的、能力的にメジャーはもう無理。さりとて、キューバに帰ることもかなわない。すでに妙子夫人と結婚。子どももいる。キューバに帰ったら2度と妻子の待つ日本に戻れないかもしれない。もう「日本人」になるしかないではないか。彼はスペイン語、英語、関西弁、標準語の“4カ国語”を身に付け、この能力で長くコーチ、通訳など務めた。日本で監督を目指す
ラミレス(元
ヤクルトほか)にバルボンの決意ありやなしや?
写真は74年、
大橋穣(右)にアドバイスするバルボンコーチ。
文=大内隆雄、写真=BBM