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プロ野球80年の歴史の中で真の技巧派投手第1号は若林忠志
“七色の魔球”を上、横、下手から変幻自在に投げ分けた

 



 来週号は投手の投球術、技巧の特集の予定だが、どんな剛速球投手でも、技巧がなければピッチングは組み立てられないのだから投手はすべて技巧派と言ってよいのである。

 ただし、ボールをどう投げるかだけでなく、投球に利すると思われるあらゆることを総動員して、勝利に導いていく投手となると、そうはいない。プロ野球80年の歴史でこういう本物の技巧派の第1号は、若林忠志(阪神-毎日)である。

 1929年、法大に入学した当時は速球投手だったが、肩を痛めたりして、上級生になったころは技巧派投手となっていた。36年、コロムビアから大阪タイガース(阪神)に入団したときは、上から、横から、さらに下からと、打者を幻惑するためにどんな投げ方もできるという投手だった。巨人の打者として戦前4シーズン、戦後4シーズン対戦した千葉茂はこう言っている。

「若林さんの投球は七色の変化球と言われて、たしかにいろんな変化球を駆使したものだった。だが、この人の技巧はそれだけにとどまらず、あらゆる手を使ってワシらを幻惑した。特に左腕を前にパッと突き出して、打者の視界を邪魔するテクニックがいやらしかった」

 この写真は、あの50年の第1回日本シリーズ(毎日-松竹)第1戦(神宮)での歴史的1枚だが、若林の左腕は、直線的に伸ばされたままだ。打者にパッと突き出した名残りだろうか。また、右手の握りは、どうもスプリット系のようで、人さし指と中指の間があいている(「週ベ」編集部の元早大野球部投手の部員も同意してくれた)。

 若林が、この第1戦の第1球に何を投げるか、1週間熟考したという話は有名だが、若林はこの試合、42歳という年齢にもかかわらず、延長12回を完投。3対2で記念すべき第1戦の勝利投手に。球数も161球。しかし、試合時間は2時間34分。打者の早打ちを誘う技巧が冴えた。
文=平野重治、写真=BBM
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