週刊ベースボールONLINE


アスレチックスのベンディット投手の左右投げが話題になったが、日本にも左右投げ登録の南海・近田豊年がいた。さてその成績は?

 


文=平野重治、写真=BBM

 アスレチックスの左右投げ投手、パット・ベンディットが6月5日のレッドソックス戦で左打者には左で、右打者と両打ちの打者には右で投げて話題になったが、日本にも左右投げで登録して一軍で投げた投手がいた。その名は近田豊年

 88年、ドラフト外で南海に入団。明徳義塾高-本田技研鈴鹿と名門コースを歩んだのだが、本来の左投げは140キロ超のストレートが武器の本格派。しかし、ノーコン病がつきまとい、「左がダメなら右でカバーだ」と右投げに挑戦。これが案外イケる。左は真っ向から投げおろすフォームだが、右は写真右のように下手投げ。この好対照も面白い(ベンディットは左右ともサイドスロー)。当時の杉浦忠監督は「まだ、海のものとも山のものとも分からんけど、プロなんだから、こんな異色選手がいてもいいでしょう」と左右投げでの登録となった。

 とは言っても、右投げのストレートは100キロがやっと。ただ、キャンプの段階で、右の遠投が80メートルというのはともかく握力が60キロもあったので、首脳陣は、「まだ22歳だし、右投げの方はもっと伸びる」と判断して、左右投げで行ってみることにした。右ばかり注目されているうちに、左の方の評価も上がり、「ウチの左で一番速い」となり、背番号も「63」から「13」へ。

 しかし、プロは甘くはなかった。近田は、1年目の88年4月14日のロッテ戦(大阪)で5番手として1イニング投げたのが、プロでの成績のすべて。打者4人に1安打1四球で1失点。どちらで投げたかって? 4打者すべてに左投げでした。近田は91年に阪神に移り、この年限りで引退した。近田の身体能力はズバ抜けており、陸上のスパイクを履けば100メートルを10秒8。中3のときに砲丸投げで14.5メートルを投げ全国2位。もう少しうまく才能を引き出してやれなかったものか……。
おんりい・いえすたでい

おんりい・いえすたでい

過去の写真から野球の歴史を振り返る読み物。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング