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夏の甲子園に向け、地方大会は徐々に盛り上がっているが、これは85年前の夏の甲子園での2枚。当時は火事が甲子園名物だったそうな!?

 

文=大内隆雄、写真=BBM


 夏の甲子園を目指しての地方大会も徐々に熱を帯びてきているが、この写真は、1930年、85年前の夏の甲子園大会(第16回)での2枚。この2枚は、いろんな想像をかき立ててくれる。中央部(写真上)から煙が上がっているが、これは火事。係員が大慌てで駆けつけるのが写っている。中央のポールは、いまの球場で言えばバックスクリーンの位置に立っている。当時はバックスクリーンはなかったようだ。さらにあの甲子園のランドマークとも言うべき、大スコアボードもまだない(写真下)。外野スタンドも低い。

 ポールの左下のフェンスに小さく○印と文字の組み合わせが2つ見えるが、これは、何年何月何日にだれそれがここまで打球を飛ばしたという記録である。当時はセンターフェンスまで120メートル。ここまで飛ばせるのは、来日したアメリカ人選手(多分、野球指導で)しかおらず、球場関係者があまりの飛距離に感動して、その名を記しておこうとなったのだろう。当時の甲子園のグラウンドの形状は、ご覧のように特殊で、左中間、右中間が123メートルもあった。

 さて、この火事はすぐ収まったが、試合中の広島商と和歌山中の選手は驚いたことだろう。試合は無事終了。広商が和中を4対1で下し、決勝に進出。広島商は決勝でも諏訪蚕糸を8対2で破り、2年連続3度目の優勝を果たした。ベンチコーチ(監督)は、のちに阪神、広島などで監督を務める、あの、選手に真剣の刃渡りをさせたという石本秀一。「結局は、去年も言ったように私たちは幸運だったから優勝できたのだ」とは石本。監督の優勝の弁は85年前も同じだ。ところでこの写真は『野球界』10月号に載ったものだが、写真説明に「……火事も甲子園大会の名物の一つではある」とあったのには驚いた。ボヤ騒ぎは頻発したらしい。恐らくポイ捨てのタバコが原因。そういう時代の2枚。
おんりい・いえすたでい

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過去の写真から野球の歴史を振り返る読み物。

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