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見よ! この「讃岐顔」
菊池寛、大平正芳、琴ケ浜、三原脩……。すべて大物。西村貞朗氏も完全試合で大物ぶり発揮

 



 元西鉄投手の西村貞朗氏が8月3日肝臓ガンで亡くなった。80歳。剛速球と大きなカーブで58年7月19日の東映戦(駒沢)で完全試合(1対0)を達成するなど、最強西鉄の主力投手として活躍した。

 西村氏は香川・琴平高から53年に入団したが、西鉄には同じ香川県出身の中西太(高松一高)がいたことで、チームにすぐ溶け込むことができ、54年22勝、56年21勝と優勝したシーズンに活躍、54年には最高勝率のタイトルを獲得している(.815)。

 さて、この写真は、56年のものだが、西村氏(手前)とバットを持つ中西、なんとなく同型、同類の顔だと思いませんか。こういう顔を、筆者は勝手に“讃岐顔”と名付けているのだが、やはり同郷の菊池寛(作家で文藝春秋創業者)、大平正芳(元首相)という人たちの顔を思い浮かべてもらうと「そういう顔があるな」とうなずいていただけるのでは。これに内掛けの名人、大関の琴ケ浜を加えてもいいかもしれない。いや、西鉄の三原脩監督だってこの類型ではないだろうか。ダメ押しは樋笠一夫(元巨人ほか)と穴吹義雄(元南海監督)。そして、み〜んな大物なのである。

 西村氏も大物だった。パーフェクトを達成した試合、同期入団の豊田泰光によると、まだ3回終了なのに「さあ、完全試合じゃけんね。しっかり守らないかんよ」とのたもうたそうだ。普段は気の小さい男だというのだが、このときだけは別人。6回には「0対0ではなあ。引き分けたら完全試合にならんバイ。点を取ってくれんとどうしようもないで」。それでなくともピリピリしている野手たちの神経を逆なでするような“放言”。結局、7回の豊田の本塁打による1点のみの、最も困難と言われる1対0で大記録達成。やっぱり“讃岐顔”は大物だった。

 西村氏は引退後、石油販売業などで実業家としても成功。3連覇ライオンズ戦士のなかでは恵まれた人生を送った。(一部敬称略)
おんりい・いえすたでい

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