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プロの給料5000円、軟式野球5試合やれば5000円、60年前のプロ野球の待遇はひどすぎた。合宿のご飯もおかわりダメ

 


「週ベ」の9月14日号「プロフェッショナルの肖像 美学を貫いた男たち」で土橋正幸さん(元東映)を執筆する際、昔の取材ノートや書いた原稿が載る雑誌を引っ張り出したのだが、ちょっと面白い“事実”を思い出したので書いてみたい。

 9月14日号では触れられなかったが、1955年に入団テストに合格してプロ入りした土橋さんの初給料は5000円。60年前のお金の価値は、筆者には見当がつかないが、土橋さんは、プロ入り前、5000円なんて簡単に稼いでいた。土橋さんが、浅草の「フランス座」の軟式野球チームで投げていた(正確にはフランス座の経営者であるM氏が後援者の「雷門サンダース」)のは有名だが、「Mさんは太っ腹な人でねえ。1試合出るとポケットマネーで1000円出してくれた」(土橋さん)。月に5試合やれば、もう5000円。土橋さんの実家は浅草の魚屋さん。そこの次男坊だから、まあ、5000円は丸々小遣いみたいなものである。

 そう考えると東映の5000円は、いくらテスト入団とはいえ、ずいぶんケチくさい額に思えてくる。

「契約金なんかないし、合宿の1日の食費が200円かかるから、月6000円。これたけで足が出る。しばらくは、実家から援助してもらいましたよ」と土橋さんは苦笑い。

 そんなプロ野球の世界でも、当時はあこがれ以上の世界だった。「とにかく野球熱のすごかった時代。みんなプロを目指しました」。入団テストには何と470人の腕自慢が大集合。合格者はたった8人。60倍の超難関だった。

「給料は安いし、タテ社会で結構イジメみたいなものもあってね。聞いて極楽、見て……という世界でしたね。高い契約金をもらって入ってきてやめていったヤツがいっぱいいました」と土橋さん。

 天下の巨人でも合宿のご飯は盛り切り1杯でおかわりダメの時代。いまはあらゆる面で恵まれている。写真は実家で家業を手伝う土橋さん。
おんりい・いえすたでい

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過去の写真から野球の歴史を振り返る読み物。

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