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座布団が飛ぶのは大相撲だけじゃなかった!プロ野球でも、もう1936年から座布団乱舞。“洲崎決戦”で巨人・澤村の上に

 

文=平野重治



 9月15日付の読売新聞のスポーツ面、三木修司編集委員の「視界良好」はちょっと面白かった。大相撲で大番狂わせがあったときは、よく座布団が乱れ飛ぶが、この“風習”が盛んになったのは、そう古いことではないという。1909年開場の旧両国国技館時代から、あったことはあったらしいのだが、事あれば必ず座布団乱舞、となったのは75年あたりからだという。“プリンス”と言われた初代・貴ノ花の初優勝がこの年だった。

 大昔、「投げはな」というものがあったそうで、これは、ひいきの力士が勝つと、旦那衆が自分の羽織を土俵に投げ込むことを言う。この羽織を勝った力士の付け人が返しにいくと、旦那からご祝儀をいただけたという。これは09年に禁止されたそうだが、相撲ファンの何かを投げたい衝動までは禁止できなかったようだ。

 実はプロ野球でも、この座布団飛ばしがあった。それも草創期の36年にもうあったのである。今年、NHKが、36年のあの巨人-タイガースの“洲崎決戦”(年度優勝決定戦。3試合制)を撮影したフィルムを発見(アマチュア愛好家が撮影したもの)、このフィルムをクリーニングして、鮮明にしたものを放映してくれたが、巨人が12月11日、4対2でタイガースを破り、2勝1敗で初の日本一となった試合、巨人のエース・澤村栄治が最後の打者を打ち取ると、スタンドから一斉に座布団が飛んだのである。これは、たまたまそうなったのではなく、座布団を貸してくれるスポーツ観戦では、座布団投げが一般化していたからではないか。当時の洲崎球場の粗末なイス、ベンチではたしかに座布団が必要だった。神宮球場では、ちょっと前まで座布団貸しのオバサンがいた。

 新たな発見は、澤村が、左足をちっとも高く上げていないことである。あの頭より高く足を上げる澤村はいないのだ。フィニッシュでは、元中日小松辰雄に似て、左足がつっかい棒のようになる。37年9月に後楽園球場が完成すると、洲崎球場は、使われなくなったから、澤村の洲崎での写真は、これぐらい。36年か37年か分からないのが残念。
おんりい・いえすたでい

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過去の写真から野球の歴史を振り返る読み物。

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