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ヨギ・ベラin Japan。53、55年と2度来日、いずれも全試合出場の大サービス。球審と仕組んだ退場教育(?)も

 

文=大内隆雄



 1950年代のヤンキース黄金時代にホームを死守した大捕手、ヨギ・ベラ氏が9月22日、90歳で亡くなった。彼については、先週号の「Eye on Major」で奥田秀樹さんが詳しく書いているが、ここでは、日本でのヨギ・ベラ捕手を(以下ベラで統一)。

 ベラが日米野球で2度来日したことを知る人は、もう少ないだろう。最初は、53年、大リーグ選抜軍(ロパット・オールスターズ)の一員として、2度目は55年、ヤンキースの一員として、計28試合もそのプレーを見せてくれた。いずれも全試合出場。53年は打率.386、6本塁打。55年は打率.380、2本塁打。意外なのは、三塁打も1本ずつ打っていることだ。旅行気分ではなく、ハッスルプレーを日本のファンに見せるんだ、という意気込みがあったのだろう。

 53年は、ニューヨーク・ジャイアンツも来日しており、読売新聞と毎日新聞が意地の張り合いで、前者が選抜軍、後者がジャイアンツを呼んだのだが、ファンにはまたとない楽しみとなった。

 10月30日の対南海戦(大阪)でちょっと変わった楽しみがあった。ベラが退場を食らったのだ。判定に不服なベラがホームプレートに砂をかけたので、スチーブンス球審は「ゲットアウト!」。実は、これは、仕組まれたもので、審判講習会で日本の審判の立場のあまりの弱さを聞いたスチーブンス球審が、ロパット団長とベラの了承のもと、「審判の権威を見せてやる」とひと芝居打ったのだった。南海ベンチもファンも「あのベラを……」と驚いたそうだから効果はあったようだ(試合は15対1で選抜軍の大勝)。

 当時の「野球界」12月号には選抜軍の選手の座談会が載っているが、その中でベラは「日本の捕手はサインを送るとき股を広げすぎる。コーチ、ランナー、どこからサインを読まれるか分からない。股は狭くしてサインを送るべき」と語っている。そういう野球の時代だった。

 写真は55年、後楽園球場での1枚。
おんりい・いえすたでい

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過去の写真から野球の歴史を振り返る読み物。

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