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決勝で点が入らない高松商。あの強力打線がわずか1点。56年前の決勝も1点に苦しんだが、山口が史上初のサヨナラ優勝弾!

 

文=平野重治


 今年のセンバツは、第1回大会(1924年、大正13年)優勝の古豪・高松商の快進撃に沸いた。とにかくよく打つチームで、決勝までその猛打で勝ち進んだ。しかし、決勝の対智弁学園戦では、1点が遠く延長サヨナラ負け(1対2)。

 思えば56年前(60年)の決勝戦(対米子東)もそうだった。4回に米子東に先制されても、その裏すぐパスボールで同点にしたが(1対1)、そのあとがイライラの連続。6回が象徴的だった。無死満塁のチャンスに、三ゴロで本封。次打者は2-2からスクイズも見事に外されて三振。三走も三本間で挟殺された。

 ただ、米子東打線も低調で、高松商の先発・松下利夫の前に8回までわずか1安打。9回も無得点に終わった。その裏の高松商はキャプテンの三番・山口富士雄から。決勝のこの打席の前まで計7安打と当たりに当たっている。米子東の先発・宮本洋二郎は、それでも1ボール2ストライクと追い込んだ。しかし、山口はファウルで粘った5球目、ストレートが真ん中高めに入ったのを強振、打球は左翼ラッキーゾーンに。センバツの決勝でのサヨナラ本塁打は史上初の快挙。当時は、本塁打が出ることは極めてまれで、実は、この32回大会での第1号ホームランでもあった。

 山口は「あのとき不思議にボールの縫い目がはっきり見えたんです。ここだ、と思いっ切り振りました」と振り返った。中学時代、棒高跳びで中学新記録(3メートル30センチ)をマークしたこともある。身体能力が抜群だったのだ。山口は立大から阪急に入団して遊撃手、二塁手として活躍した。

 この大会には、後に有名になる選手が数多く出場していた。慶応の渡辺泰輔(慶大-南海)、育英の土井正三(立大-巨人)、大鉄の土井正博(近鉄ほか)、徳島商の広野功(慶大-中日ほか)と多士済々。のちに東京六大学で名監督となる人もいた。法政一の松永怜一監督は法大、静岡の石山健一は早大。今年はどんな人材を生むのか。写真は優勝した高松商ナイン。前列左から2人目が山口主将。

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