4月5日、筆者にとっては、とんでもない、かつ許せないニュースが飛び込んできた。2020年の東京五輪・パラリンピックの組織委員会が、神宮球場を20年に大会の準備、運用のための施設として使いたいという要求を関係方面に突きつけてきたというのだ。4日遅れのエイプリルフールじゃないかと思ったよ、ホント。
借用期間は20年5月から11月末まで。例年、神宮では
ヤクルト、六大学、東都、高校野球、社会人などが約300試合を消化するという。これらがほとんど開催不可能になってしまうのだ。たとえ代替球場が見つかったとしても、ヤクルトファン、大学野球ファンは納得しないでしょう。「神宮だから見に行くのだ」がファンの偽らざる気持ちなのだから。「五輪」という錦の御旗に勝てるものはないから、組織委の要求は通っちゃうんだろうなあ。この組織委は問題ばかり起こしている。
六大学ファンとしては、20年のリーグ戦は中止にして、その年の在学生は、もう1年余計にプレーできることにすれば、なんてことさえ考えてしまう。学費はもちろん組織委の負担。
このような“外圧”で神宮が使えなくなったことは過去にもある。戦後の46年春に復活した東京六大学野球は、神宮球場は、占領米軍によって接収中で使用不可。このシーズンは各校1試合総当たりで計15試合が行われたが、写真の上井草球場で9試合が行われた(残りの6試合は後楽園球場)。写真は63年当時のものだが、46年とそう変わってはいないハズだ。
46年春のリーグ戦は、ここで開会式が行われ、慶大が5戦全勝で優勝。東大が史上初の2位となった。
上井草球場は、1936年、東京セネタースが専用球場として
西武線沿線の上井草に建設したもので(現在は杉並区立上井草スポーツセンター)、神宮とは比較にならないが、一応、このような球場らしさはあった。
このシーズンの上井草のハイライトは、6月1日、東大が早大を1対0で完封したことだろう。早大は8安打しながら、東大・山崎諭投手の“巧投”の前に、零封された。