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「変化球大特集」で忘れちゃいけないのが堀内庄の“懸河のドロップ”。「ドロップ」を広めた正岡子規ならどう表現した?

 

文=大内隆雄


 朝日新聞に夏目漱石の『吾輩は猫である』が連載中だが、とにかく面白い。毎回がほぼ起承転結のある極上のクリティカル・コメディーとでも呼びたい傑作の連続だから、「さて、次回は」なんて気を持たせることがない。つまり一回読み切りだから、余計に面白い。

 漱石は野球好きで、早稲田南町に居を定めてからは、しょっちゅう早大の戸塚球場(のちの安部球場)に足を運んでいた。「猫」の中にも落雲館中学(現郁文館高がモデルらしい)の生徒が打ったボールが飛び込んでくるのに「主人」が迷惑する場面があったような気がする。

「猫」は1905年の作品だが、漱石に野球の面白さを教えたと思われる親友の正岡子規は、早くも1896年には『松蘿玉液』(銘茶と美酒の意)の中で、野球のかなり詳しい紹介を行っている。

 明らかにアメリカの書籍を翻訳してまとめたものだが、まだ「ベースボール」に「野球」の訳語は当てられておらず「ベースボール」のまま。「野球」の誕生は意外に遅いのだ。興味深かったのは「墜落」に「ドロップ」のルビが付してあることだ。「ドロップ」は、野球好きの間では、もう当たり前の表現だったようだ(子規が広めたのかも)。

 今週号は、変化球の大特集だが、「ドロップ」(大きくタテに割れるカーブ)の最高の使い手と言えば、堀内庄投手(元巨人)。堀内恒夫投手(元巨人監督)の大きなカーブも有名だが、恒夫投手に言わせると「オレのカーブなんか問題じゃない。オレが入団した年(66年)にはもうコーチだったけど、手首がグルリとひと回りするんじゃないかと思うぐらい柔らかいんだ。あれでドロップを投げたら、そりゃあ曲がるよ。メジャーが打てないワケさ」。

 庄投手は56年に来日したドジャースとの第1戦でこの懸河のドロップで三振を取りまくり、あの『ドジャースの戦法』を書いたアル・カンパニスに「ウチに来ないか」と誘われたほどだった。庄投手は、のちに筆者に「そりゃあ、心が動いたねえ」と話してくれたが、子規が庄投手のドロップを見たら、どう表現してくれただろうか。いま、これだけ真っ向上段から投げおろす投手はいない。
おんりい・いえすたでい

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過去の写真から野球の歴史を振り返る読み物。

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