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草創期のプロ野球は、いかにして生き抜いたのか。新刊の『兵隊になった沢村栄治』(ちくま新書)はその苦闘をよく伝えてくれる

 

文=大内隆雄


 6月10日に刊行された『兵隊になった沢村栄治――戦時下職業野球連盟の偽装工作』(山際康之著、ちくま新書)を興味深く読んだ。あの巨人の初代エース・沢村が戦争に翻弄される姿を描きながら、日本職業野球連盟(のち日本野球連盟、日本野球報国会)が、どのようにして、組織と選手を守っていったのか、また守れなかったのかを克明に追った力作。時には、政府、軍部にひどくおもねるような姿勢を見せながら、しぶとく生き残ろうとするプロ野球。そこには、プロ野球の象徴とも言えた沢村が戦地で心身ともに疲弊して、その才能をつぶされてしまった悲劇を繰り返してはならないというプロ野球の強い思いがあったと筆者は言う。

 日本に初めて誕生したプロ野球リーグのこの苦闘があったから、いまのプロ野球の隆盛があるのだ。

 個人的には手榴弾投げと1940年の満州シリーズ(7月26日出発、8月31日帰国)のところが面白かった。沢村は普通の兵士なら30〜40メートルのところを92メートルも投げたというからすごい。手榴弾投げについては、19歳で中国戦線に送られた杉下茂さん(元中日ほか)から目からウロコの話を聞いた。「手榴弾はね、野球の遠投のように反動をつけてほうるもんじゃないんだ。弾に当たらんように匍匐前進しながら、やおら上半身を起こしてほうるんだ。これが難しいんだよ」。ナルホドだった。遠投のようなスローイングなら、たちまち敵の標的になってしまうだろう。

 満州でのプロ野球は、まさに国策に沿おうとしたものだったが(「満州国」には日本人が多く住んでいた。イーグルスの理事・河野安通志は「時局柄、野球を通じて日本精神を満州に在住する十万の青年に吹き込む意味」から有意義であると開催を主張した)。この満州シリーズ(全72試合)は大成功でプロ野球存続への大きなアピールとなった。巨人の二塁手として参加した千葉茂さんが「とにかく南京虫には参った。川上(哲治一塁手)なんか63個所も食われとった」と言ったことがあったが、マジに一睡もできない夜もあったそうだ。それでも巨人は14勝2敗でこのシリーズに優勝。写真は8月25日の表彰式(奉天球場)。

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おんりい・いえすたでい

過去の写真から野球の歴史を振り返る読み物。

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