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あの読売の「編集手帳」の筆者に「悔しいくらいうまい」と歯がみさせた故・豊田泰光氏の文章力。それは恐るべき好奇心のたまものだ

 

文=大内隆雄


 8月17日付読売新聞のコラム「編集手帳」は、14日に亡くなった豊田泰光さんの文章について「『悔しいくらい、うまいな』と歯がみした文章が幾つもある」と書いていた。あまたある新聞の1面コラム(その新聞の“顔”)の筆者たちの中では、ズバ抜けた文章力の持ち主と言われる編集手帳氏がこう書いたのだから、ちょっと驚いた。

 筆者は、豊田氏と20年以上、仕事での付き合いがあったが、この人の文章力について得た結論はこうだった。

「とにかく好奇心のかたまりのような人。何でも見たい、知りたい、感じたい、味わいたいetc。人事万般、この人が興味を示さないものはほとんどない。この尋常ならざる好奇心が集めたものが、頭の中にあふれ返って、それが流れ出したものがあの文章」

「それが名文になる理由が、これだけでは分からない」と不満な読者もいるだろうが、69年の現役引退以後、半世紀近くも流れ出し続ければ、おのずと名文となる、とだけ言っておこう。

 現役時代からその交友関係は驚くほど広く、スポーツ関係だけではなく映画、音楽、文学の世界から、実業界、政界、官界まで延びていった。思いつくままに豊田さんと交友のあった人たちの名を挙げると小林秀雄、池田勇人、堤清二、五味康祐、丸谷才一、井上ひさし、赤瀬川隼、吉田正、橋幸夫……。狂言の世界にもかなりの興味を示し、その世界のビッグネームをたくさん挙げてくれたが忘れてしまった。作曲家の吉田正さんは、豊田さんのために「男のいる街」を作曲。7万枚を売ったそうな。

 豊田さんは「好奇心だけがオレの取柄。それがなかったらただの元野球選手」。と珍しく謙虚なこと(?)を口にしたことがあったが、「ただの元野球選手で終わってたまるか!」――これが評論活動の原動力になっていた。その好奇心は、やはり、スポーツに対して一番強かった。特に相撲とボクシング。「井筒部屋」と「三迫拳」には入りびたり。写真は1957年ごろ、ボクシングの試合で仲良しの歌手のディック・ミネさん(左)とのツーショット。この年、豊田さんは22歳。現代の22歳がこれだけの雰囲気を身にまとうのは不可能に近いだろう。それにしてもカッコよすぎだが……。
おんりい・いえすたでい

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過去の写真から野球の歴史を振り返る読み物。

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