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ドラフト指名選手の仮契約が続々だが、昔に比べると契約金は相対的に安い。62年の確定申告で前年のルーキー・権藤博が球界トップ!

 

文=大内隆雄


 ドラフトで指名された選手が続々仮契約を交わしているが、いまは“ドラ1”なら、契約金1億円、年俸1500万円が相場。いわゆる自由競争時代最後の64年の契約金相場は、最高額が5000万と言われたから52年後でやっと倍。ということは、52年前の5000万円にはベラボウな価値があったということになる。

 必要があって毎日新聞社発行の『昭和史全記録』をめくっていたら、1962年の5月1日のところで、面白い記事を見つけた。それは、各界長者番付(前年分)。プロ野球No.1は、だれでしょう?金田正一(国鉄)?長嶋茂雄(巨人)?どちらも外れ。正解は、前年35勝をマークして投手タイトルを総ナメした中日のルーキー、権藤博投手。金田、長嶋はトップ5にも入っていない。

 権藤は58年の長嶋を上回る2000万円の契約金を手にしたと言われたが、確定申告による61年の所得は1270万円。これは、必要経費などを除いた後の課税所得だから、粗収入の額は分からない。それにしてもルーキーがいきなりプロ野球長者番付のトップとは、時代が違っていたのだ。ちなみに2位は、61年三顧の礼で東映監督に迎えられた水原茂の1250万円。天下の大監督をアッサリ超えてしまうのだからすごい。

 このころから契約金はウナギのぼりとなるのだが、立大・長嶋と同期で明大から大洋に入団した近藤和彦は、契約金500万円だったが、近藤さんは「大阪の両親のためにアパートを2軒建ててやり、都内に自宅を建てるための土地を買って、まだ余ったよ」と言っていた。いまなら、500万円でも2億円ぐらいの価値がありそうだ。

 筆者の親しかった元東京新聞記者の会田豊彦さんは、60年に中日入団。日大1年秋に早くも首位打者という好打者だったが「契約金1000万は手取り。まあ、ビックリしたよなあ。当時は、給料も手取り。税金は球団が持ってくれたんだろうね」と会田さん。昔のプレーヤー、一流どころは、結構な待遇だったのである。写真は61年5月27日のもので権藤と小誌で対談のホストを務めていた佐々木信也氏(左)。権藤はここまで早くも9勝、うち5完封。中日はもう元を取ったようなものだったかも。
おんりい・いえすたでい

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過去の写真から野球の歴史を振り返る読み物。

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