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成功する外国人選手は、厄介な日本語を含め日本を丸ごと受け入れた人たち。文化住宅に住み、子ども2人をもうけたバッキーの“超適応”

 

文=平野重治


 昨年は夏目漱石没後100年だったが、漱石にロシア人の弟子がいたのをご存じだろうか。その名はエリセーエフ(英利世夫)。モスクワの大金持ちの息子で、世界中の言語を学びながら遊び歩いた人。日本に来てもすぐ日本語をモノにして(東大に入学)、草書体の文章も楽々読みこなしたというからすごい。エリセーエフ君、早稲田南町の漱石宅で「先生、庭に出ると庭へ出るはどう違うんですか」(このへん、ウロ覚えで正確ではないのでご容赦のほどを)と漱石に質問した。漱石はグッと詰まって「ウ〜ン……オレにも分からん」と降参したそうな。

 この「に」「へ」といった助詞の使い方が、日本語を学ぶ外国人には、一番厄介らしい。「だから日本語は不完全な言語なんだ」と言ったりする人もいるが、言語学者の田中克彦さんは「言語に完全、不完全、美しい、汚い、なんて区別はない。そういう考え方はおかしい」と批判する。たしかにそうで、日本語はどこまでも日本語。使っている我々はいっこうに不自由を感じない。

 ここで話は野球に移る。プロ野球は今年も外国人次第というチームが多いが、成功する外国人選手は、厄介な日本語を含めて、日本を丸ごと受け入れた人が多い。写真のバッキー(元阪神ほか)などはその典型だ。メジャー経験なし。1962年8月、阪神の入団テストを受けたがあまりのノーコンにコーチたちは「こりゃダメだ」。しかし、ひとり藤本定義監督のみが「変化球が得意と言ってるから、リリーフ用に取っとけ。第一、契約金がいらんのやから」とOKを出した。バッキーは3年で最多勝投手に(64年、29勝)。すぐに日本語はペラペラになり、住居は甲子園球場近くのいわゆる文化住宅。ここから自転車やバイクで球場に通った。遠征もほかの選手と同じ日本旅館でフトンを敷いて寝た。この文化住宅で子どもを2人もうけ(写真は64年夏)、身も心もジャパナイズされた(左から長男・ジョン君、ドリス夫人、長女・リタレーンちゃん、バッキー)。

 バッキーは最多勝投手となっても文化住宅に住み続けた。83年、阪神-巨人OB戦のため来日すると、日本語をまったく忘れていなかったので、旧友たちはビックリしたそうな。

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おんりい・いえすたでい

過去の写真から野球の歴史を振り返る読み物。

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