「旅行けば駿河の国に茶の香り」「佐渡へ佐渡へと草木もなびく」「火事と喧嘩は江戸の花」──だれ一人知らぬものなし、と言える名文句だが、これすべて浪曲師の名吟であると書けば、驚く人が多いかもしれない。順に広沢虎造、寿々木米若、東家浦太郎の口からうなり出て(?)、日本中に広まったり、蘇ったりした名文句だ。なにわ節語り、どうしてどうして大した日本語の使い手なのだ。
文豪・森鴎外の作品が自然主義派から「高等講談にすぎない」とケナされたのは有名。「面白いだけで切実味、真実味がない」ということだったのかもしれない。「じゃあ、講談はもともと下等なものなのか。冗談じゃない」と講釈師は文句のひとつも言いたくなるところだ。
浪曲も講談も庶民の大きな楽しみだったのだが、浪曲師も講釈師もこれに見合う尊敬は受けていなかった。虎造は1939(昭和14)年、4000円の所得税(年収ではない!)を払っている。これは人気絶頂のエノケン・榎本健一とほぼ同額。しかし、社会的評価と言えば・・・
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