阪神が21年ぶりの優勝を遂げた1985年、そして翌年と2年連続で三冠王に輝くなど「史上最強の助っ人」の名をほしいままにした
ランディ・バースが日本を去ったのは、来日6年目の88年シーズン途中だった。
不動の四番打者はこの年も開幕から22試合でその座に就いていたが、5月5日の
巨人戦を最後に戦列を離れた。体調を崩していた長男・ザクリー君が水頭症を患っていることが判明したためで、5月14日にアメリカへ緊急帰国。
手術と長期に渡る放射線治療で予断を許さぬ状況が続き、バースは期限とされていた6月17日までに日本へ戻ることができず、球団は解雇を通告。だが、激怒したバースは再来日の期限やザクリー君の治療費、年俸支給などについて契約との不一致を主張し猛抗議。何よりも憤りを感じていたのは・・・
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