生まれは終戦直後の東京・田園調布。生後間もなく食糧難のため疎開し、小学校3年まで秋田で過ごしたが、約8年を経て54年に帰京すると、父母と5人兄妹の一家は足立区中央本町の都営住宅に居を構えた。
ビートたけしの出身校でもある足立区立第四中で本格的に野球を始めた
成田文男は、葛飾区の修徳高へ進むと1年から主戦投手となり、3年夏にチームを甲子園初出場へと導く。 65年、荒川区の東京スタジアムを本拠地とする東京オリオンズに入団。3年目に14勝を挙げ、翌年からは3年連続20勝以上をマーク。若き右腕は「下町のエース」と呼ばれ地元ファンから絶大な人気を集めた。
端正な顔立ちと、速球と高速スライダーを駆使したクールなマウンドさばきは一見、下町 のイメージからは遠いものだったが、マウンドを降りれば、やはり下町育ちを思わせる一面があった・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン