滝川中在学時の1942年に17歳で
巨人入り。終戦後は阪急で2年間プレーしたが、48年から再び巨人のユニフォームを着ると、
川上哲治らに並ぶ中心選手として第2期黄金時代を築いた
青田昇。ダイナミックな打撃と豪放な人柄で「じゃじゃ馬」の異名を取った。
在籍7年間で優勝5回と巨人で栄光の日々を送ったが、53年から洋松・大洋、59年に阪急へと移籍し、現役後半は打倒巨人に燃えた。
引退後は1年ほど野球評論家として活動。62年に
阪神コーチとして現場復帰を果たすと、藤本定義監督の片腕として優勝に貢献。
「(評論家として)第三者の立場で新しい野球の訪れを知ったことはとても良かった。選手の気質や考え方も、われわれのころを基準にしていてはとても想像できないドライな面があるが、多少なりとも自分の思う方へ引っ張れたのは・・・
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