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川相昌弘「巨人の二番にふさわしい者になろうと演じてきた部分もあります」

 



 通算533犠打は世界記録で、成功率.906という数字もその卓越した技術を物語る。川相昌弘はプロ野球史上最高のバントの名手である。

 1983年に巨人に入団した、いわば“最後の多摩川世代”。最初の6年間は一軍と二軍を行ったり来たりの下積み生活の中、泥にまみれながら練習に明け暮れた。

 当時は「バントで勝負しようとか、そういう気持ちはなかった。レギュラーを取るためにやらなければならないことの一つだった」というが、7年目の89年に岡崎郁鴻野淳基勝呂博憲(壽統)らを差し置いて二番・ショートの定位置を奪取すると、つなぎ役としての自覚からバント技術の向上に取り組んだ。

「飛んで来る生卵を、割れないように、クッションを効かせながら捕るイメージ」

 研ぎ澄まされた感覚で、90年に当時の年間最多記録である58犠打をマークし、翌年も66犠打でそれを更新すると、95年には47度の企図で・・・

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