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大学新監督クローズアップ

 

教育とスポーツの融合を目指して


中国地区大学野球連盟の二部に所属する環太平洋大に、1月1日付で野村昭彦監督が就任した。同指揮官は広島野村謙二郎監督の実弟。同野球部は2007年に創部し、10年に神宮大会初出場を遂げたが、昨秋は8季守った一部の座から二部へ降格した。再建へキャリア豊富な新監督の手腕が期待される。(リポート/岡本朋祐)

1月1日付で環太平洋大野球部監督に就任した野村昭彦監督。二部リーグから日本一への挑戦に挑む[写真=本人提供]



 岡山県岡山市にある環太平洋大は、11年春のセンバツに出場した創志学園高と同じ学校法人創志学園が運営する。07年の開学以来「教育とスポーツの融合」を掲げ、硬式野球部のほか女子柔道、陸上競技ら15の体育会が強化クラブに指定されている。次世代を担う教育者とアスリート育成が建学理念。大橋博理事長が「どこにもない大学」と目指す方針と合致したのが野村新監督だった。「野球人である前に大学生。学業と気力、体力が伴って優れた人間力につながる。監督としては勝負事ですから結果を求めるのは当然ですが、企業で言えば顧客満足。学生たちが充実した4年間を過ごすためにも、人間形成を重視していきたい」

 野村監督はもともと、学校教育に関心があった。教職課程を履修するため、00年2月に日石三菱(現JX鉱石日石エネルギー)を退社。母校・駒大のコーチを務めながら、2年後には高校野球指導者の青写真を描くも、同野球部に慰留され、02年から大学職員となった。09年の退任後は3年間、学生部に勤務。40ある体育会や一般学生と接する機会に恵まれた。スポーツフェスティバル、合同企業説明会、各種講演会の企画運営等にも携わった。時には親身になって、就職相談にも乗ったこともある。学生の成長過程を見守る職業に、興味を持つようになった。昨年12月、野村監督は知人を通じて環太平洋大主催のビジネス講演会に参加した。大橋理事長と初対面すると意気投合。大学、社会人でのコーチ実績に加えて、一般企業人、そして大学職員という豊富なキャリアに白羽の矢が立ったのである。

94年から4年間、さらに00年から09年まで母校・駒大でコーチを務めた[写真=BBM]



 野球部は開学と同時に創部した。中国地区大学リーグ四部から07年秋から3季24戦全勝で、09年春に一部昇格。10年秋にはリーグ戦初優勝を遂げ、広島六大学と四国地区で争う代表決定戦を制して、神宮大会に初出場している。トントン拍子の出世街道を歩むも、その後はBクラスに低迷。昨秋は最下位で、岡山大との入れ替え戦も連敗し、8シーズン死守した一部から陥落した。二部降格を機に、体制を一新する運びとなったわけだ。

 2歳上の兄・謙二郎氏は広島監督。プロ野球と大学野球で、兄弟が同時期に指揮を執るのは、極めて珍しいケースだ。昨年末には広島に出向いて監督就任を報告すると、こんな金言を授かったという。「自分がこうやりたいという思いをぶらさずに、初心を忘れないで頑張れ」

 身近に心強い勝負師がいる一方、恩師2人から受けた影響も大きい。大学4年間、指導者となって以降も仕えた駒大・太田誠元監督、そして佐伯鶴城高の大先輩である山中正竹氏(元法大監督、元横浜球団専務取締役、現法大特任教授)だ。「これまでの貴重な教えを土台として、独自のカラー、今の時代に合った指導をしたい。高い志を持って、計画と目標を掲げて、日々純粋に努力する。仮に達成できなくても、その過程が財産となる。卒業後は教育者になりたい学生も多いわけですから、実体験として感じてほしい」

 二部からのスタートだが、新たな歴史と“野村イズム”を浸透させるには、最適の環境かもしれない。人間教育と並行し「まずはこの春、一部に上がる。日本一を目指すには、そのステージに行かなければ話にならない」と白星にもこだわる。全野球部員とのヒアリングが「教育とスポーツの融合」への第一歩となる。

PROFILE
のむら・あきひこ●1968年8月30日生まれ。大分県出身。佐伯鶴城高では右腕エースとして3年夏の甲子園8強。駒大では主将。日本石油(現JX-ENEOS)では3年間プレーし、91年は日本選手権と第1回アマチュア王座決定戦、93年は都市対抗制覇に貢献。94年から4年間コーチを歴任し、その後は社業に専念。00年2月に退社し、4月から駒大で2年間、科目等履修生(教職課程)の傍らで野球部コーチ。02年には同大学職員となり、09年まで務めた後は学生部勤務。今年1月1日付で環太平洋大の監督に就任した。
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