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宮井勝成さんを偲ぶ会

約300人の参列者が「感謝」を胸に献花

 

早実時代に指導を受けたソフトバンク王貞治球団会長[中央]、中大時代の教え子のヤクルト小川淳司GM[右]、総監督時代に関わりがあった巨人阿部慎之助一軍作戦兼ディフェンスチーフコーチ[左]らが発起人を務めた[写真=榎本郁也]


早実、中大で日本一を遂げた名将


 早実、中大を率い、長くアマチュア球界に尽力した宮井勝成さんを偲ぶ会が1月15日、東京都内のホテルで行われ、約300人が参列した。

 宮井さんは1926年4月14日生まれ。東京都出身で早実では41年春のセンバツ甲子園に控えの外野手として出場(背番号14)。戦後、中大に入学して卒業後は54年に早実の助監督、55年9月に監督に就任。57年春には、2年生エース・王貞治(ソフトバンク球団会長)を擁しセンバツ優勝。春夏計4度の出場で57年夏、58年春には8強へ導いた。59年秋に中大の監督に就任。東都大学二部リーグに低迷していた母校を再建し、67年には全日本大学選手権初優勝(73、79年も優勝)へ導き、74年には明治神宮大会を制した。93年に勇退するまで東都大学優勝8度と一時代を築いた。その後は中大の総監督を務め、20年8月7日、肺がんのため東京都内の病院で死去した。94歳だった。

 新型コロナ禍により、家族葬となったため、この日に偲ぶ会が行われた。

 教え子からは親しみを込め「オヤジ」と慕われた。57年春、センバツ優勝時に主将を務めた堀江康亘さんは弔辞で「『早実 初の箱根越え 紫紺の大旗』」の新聞の見出しが印象に残っています。私にとって、オヤジさんから教わった高校3年間は宝物。指導者、仲間に恵まれました」と話した。

 堀江さんと甲子園で頂点に立った王球団会長は・・・

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