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堀内恒夫の多事正論

堀内恒夫コラム「まさに史上最高の助っ人であるラミレス」

 

 今週は、まずラミレスに「おめでとう」と言わなければならない。外国人選手として初めて、日本球界だけで2000安打を打った選手となった。素晴らしい記録の誕生だと言える。

 ラミレスは、メジャー・リーグでそれほどすごい記録を残してやって来たわけではない。日本に来てからうまくなった外国人選手の典型だろう。

 彼がヤクルトに在籍していた時代に、巨人の監督として戦った相手だ。ひと言で言うと「敵としては嫌な打者」だった。左右の両方に打て、長打力もある。打てる球のゾーンが広く、打つ範囲も広い。投手にとって「ここへ投げておけば打ち取れる」というコースも、球種も、ラミレスにはなかった。初球、スライダーにタイミングが合わない空振りをしたから、また投げると、ものの見事に打ち返す。内角の球に空振りしたから、またそこへ行くと、その球をホームランする。まったく油断のできないバッターだった。

 日本の野球への順応性がズバ抜けて優れていたから、これだけ長い間、日本でプレーできたのだろう。日本球界屈指の好打者になったのは、その対応力の高さと、日本野球へ自分をマッチさせようとした努力のたまものだ。

 そして、彼はバットだけでなく、あのパフォーマンスでも日本人のファンの心をつかんだ。性格も温厚で、ナイスガイだ。人間性の良さも、成功の秘けつではないだろうか。成績とともに、在籍年数も加えると、史上最高の“助っ人”と言ってもいいかもしれない。“助っ人”と呼ばれる外国人選手。プレーヤー、コーチ、監督として、数多くの“助っ人”と接した。紳士でおとなしかったデーブ・ジョンソン。メジャー・リーガーのにおいを醸し出し、貫録があったロイ・ホワイト。“クレージー・ライト”と呼ばれた技巧派左腕、クライド・ライト。パフォーマンスも楽しかったウォーレン・クロマティ。そして、近鉄から移籍してきたタフィ・ローズなど、次から次へと、彼らの顔とプレーが浮かんでくる。“クレージー”と呼ばれていたが、それは外面で、実際はまじめな男だったライト、あまり活躍はしなかったが、帰国する前に一緒にご飯を食べて別れたクルーガー、足を骨折しているのが分からず、トレーナーにマッサージを受けて脂汗を流して苦悶していたジャック・リンドなど、今では笑って話せる思い出だ。

 監督時代にストッパーとして取ったダン・ミセリも印象深い。調整不足のため、開幕から立て続けに抑えに失敗。二軍で再調整させようとしたら・・・

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レジェンド堀内恒夫の球界提言コラム。

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