「耐えて勝つ」を座右の銘に、広島黄金時代の監督として4度のリーグ優勝、3度の日本一を成し遂げた
古葉竹識さんが11月12日、心不全のため亡くなられた。85歳だった。
実は古葉さんとは縁がある。私は広島出身。古葉さんの広島での現役時代のプレーも当然、目に焼き付いている。1963年、
長嶋茂雄さん(
巨人)と首位打者争いを繰り広げた古葉さん。だが、最後にケガをしてタイトルを逃してしまったことも記憶に残っている。64年には盗塁王を獲得。広島で内野のスター選手として活躍していた。
65年、私は北川工高(現・府中東高)に入学。1年の夏休みの終わりごろ、新たに指揮官となったのが古葉さんの弟・古葉福生監督だった。福生監督はドラフトでプロから指名のなかった私に、芝浦工大進学を勧めてくれて、野球人生の道を切り開いてくれた恩人だ。高校3年時にはチームメートとともに、広島の古葉さんの自宅に連れて行ってもらい激励されたのも覚えている。
その後、古葉さんは・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン