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故・川上哲治元巨人監督の、最初で最後の「つまらなそう」な表情。背景にはV10の失敗、与那嶺氏との絡み、退任……いろいろあった

 

74年10月14日、長嶋引退セレモニー[後楽園]で長嶋に「ご苦労さま」と声を掛ける川上監督/写真=BBM


 川上哲治巨人監督が亡くなった。若い「週ベ」の読者には、歴史的な名前として知ってはいても、具体的にイメージできる人ではないだろう。巨人監督を退任したのが1974年。もう40年も前のことなのだから。

 筆者は、この年から野球記者生活をスタートさせた。主に大学野球担当で、巨人の取材はお手伝い程度だったが、もう、この年限りで川上さんは退任というウワサは広まっていて、次は長嶋茂雄監督という路線もほぼ固まっていた。そういうワケで、選手も報道陣も、何となく川上さんを避けると言っては変だが、両者の間に薄い膜のようなものが存在することを新米記者でも感じることができた。

 川上さんはあの年、特にペナントレース終盤はどんな心境だったのだろう。

 74年のシーズンは、かつては川上さんと首位打者争いのライバルだった与那嶺要監督率いる中日が、巨人のV10を阻んだ。ずいぶんのちのことだが、与那嶺さんの物語を「週ベ」で連載することになり、ライターの人と与那嶺さんと3人で、東京・白金の自宅で打ち合わせをしたことがあった。与那嶺さんは、笑いながらだったが・・・

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岡江昇三郎のWEEKLY COLUMN

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プロ野球観戦歴44年のベースボールライター・岡江昇三郎の連載コラム。

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