1961年3月2日、ベロビーチ・キャンプに出発する「巨人軍御一行様」。当時は「メジャーに学べ」が合言葉の時代だった
もうすぐキャンプインだが、すっかり廃れてしまったのが海外キャンプである。80年前後は、海外キャンプ花盛りだった。79年に新生・
西武がフロリダで、
ヤクルトがユマでキャンプを張ると、80年には大洋がメサで、
阪神がテンピでキャンプを挙行。81年には巨人が久々にベロビーチでキャンプを行った。巨人は以後、グアムでしばらくキャンプを行うことになる。
この“海外キャンプ熱”の原因、理由が何だったのか、いま思い返してもよく分からないのだが、まあ、円が年々強くなっていって、海外キャンプの費用が球団、親会社にとってあまり負担にならなくなったというのが、その1つに挙げられるだろう。実際、ヤクルトがユマ・キャンプを長く続けたのは、国内キャンプより安上がりだったからだと言われる。しかし、海外キャンプもマンネリ化してくると、選手のモチベーションもあまり上がらず、帰心矢の如しで、前にも書いたことだが、帰国の便が成田にランディングすると、機内に「バンザ〜イ!」の声が響いた、とヤクルトの選手から聞いたことがある。
50年代や60年代初めの巨人の海外キャンプは、メジャーの監督、コーチや選手に直接指導を受けるという利点があったが、この花盛りのころは、そうではなかったようだ・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン