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岡江昇三郎

“トリプルスリー”のスピードスターもいいが、昔のスーパー一芸のほかは無芸という選手も捨てがたい。過去への超越も必要!?

 

“デカちゃん”こと中日杉山悟は、最多打点、最多三振、最多併殺打の愛すべきプレーヤー。写真は1956年



 学生時代のフランス語の教師に、秋山澄夫先生という面白い人がいた。「オレは、いつクビにされてもいいんだ。クビになったら女房と一緒に関西うどんの屋台を引いて歩くんだ」。これが秋山先生の口グセだった。聞かされるほうは「先生、どういうつもりであんなこと言うんだろう」と、そのたびに首をひねるのだったが、先生は関西育ち。関西うどんの屋台というのは、東京の夜泣きソバ屋のようなものなのだろうか。とすれば、先生の子どものころの風景の記憶なのだろう。

 そういえば、秋山先生、目の前のことにはほとんど興味がないようで、興味があるのは自分の専門のサンボリスム(象徴主義)の巨匠、詩人・マラルメ(1842〜98)のみ。同じ学部の同僚の現代中国論の安藤彦太郎先生が、フランスで学会があるので、さるシノロジスト(中国学者)に紹介状を書いてほしいと頼んだことがあったそうな。秋山先生、「よっしゃ」と紹介の文章をしたためた。これを読んだ、先のシノロジスト、「どうして日本人がこんなフランス語を書くのだ。これは19世紀の重厚なフランス語である」と驚いたそうだ。秋山先生は、この「19世紀」という表現がいたく気に入ったようで、この話も何度もした(安藤先生は、幾分からかい気味にこのお土産話をしたのだと思うが……)。そう、秋山先生は、19世紀の世紀末にしか興味がなかったのだ。日本の19世紀末は、東京や大阪に屋台のソバ屋やうどん屋があふれていたハズだ。

 秋山先生は、高見順の名著、『昭和文学盛衰史』にもその名が出てくる、著名な詩人でもあったのだが、そのサンボリスムの詩人&大学教授が、本当に関西うどんの屋台を引いたとすれば、ミスマッチの極致というか、これはシュールな風景ですらある。実際、秋山先生は、シュールレアリスト(超現実主義者)であるアンドレ・ブルトン(1896〜1966)の翻訳もしている。

 長々と秋山先生のことを書いてきたのは、ほかでもない。プロ野球にも、時代を未来に向かって翔ぶのではなく、過去に向かって、いわば後ろに超越するようなスターがいると面白いのではないか、そんなことを思ったからである。

 現代は、いわゆる“トリプルスリー”のスピードスターがもてはやされる時代で・・・

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プロ野球観戦歴44年のベースボールライター・岡江昇三郎の連載コラム。

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