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野村克也の本格野球論

野村克也が語る「捕手育成」

 

正捕手の年齢を見比べテスト受験チームを選択


 プロ入り1年目、私が夕食後、合宿所の庭で一人黙々と素振りをしていると、先輩たちが声を掛けてきた。「バットを振って一流になれるんなら、みんな一流になってるよ。着替えてこい、遊びに行こう」

 誘いの言葉にグラッときたところで、金もなければ、着ていく服もない。先輩方を見送り、バットを振り続けた。そして、気付いた。先輩やライバルたちが遊びに行くのは、私にとって喜ばしいことなのだ。行ってらっしゃ〜い!飲み過ぎて、コンディションを崩してらっしゃ〜い!私は素振りをしながら、心の中でそうほくそ笑んだ。

 野球は9人しかスターティングメンバーに入れない。内野4つ、外野3つ、ピッチャーは何人でも出られるが、キャッチャーに限ってはポジションは1つ。ライバルに負けたら、ベンチに座っているしかないわけである。

 その点、今年のルーキー・小林誠司はよく巨人に入ったと思う。阿部慎之助がいたら、試合に出られないというのに。

 私も学生時代までは、巨人ファンだった。だから、行けるものなら巨人に行きたかった。幸か不幸か、どこからもスカウトが来なかった代わりに、「どこの球団でも行ける」特権を得た。そこで、最初は巨人のテストを受けようと思った。高校時代、私は新聞配達をしていたから、巨人の記事をよく目にしていた。1953年、兵庫の鳴尾高校から鳴り物入りで藤尾茂という捕手が巨人に入団。強肩・俊足・強打の持ち主で、甲子園でも活躍した。藤尾さんは私の1つ上。それでは私が巨人に行ったところで出られないだろうな、と思った。たった1つのポジション、藤尾さんと競争して、勝てるわけがない。

 そこで、私は巨人を捨てた。では、どこのテストを受けようか。授業中、プロ野球のメンバー表を見ながら、私は考えた。そのとき、一つのアイデアが浮かんだ。まず、スタメン捕手が20代のチームを全部消した。当時は35、36歳でだいたい引退していたから、その年齢を基準に、チームを探した。すると南海・松井淳さん、広島門前真佐人さんの名が目についた。松井さんは当時28歳。門前さんはすでに36歳になっていた。プロに入っても、どうせすぐには一軍で試合に出られないだろう。3、4年は下積みをしなければならない。そのころには門前さんはもちろん、松井さんもいいトシになっているから、ある程度自分の出場できる計算が立つ。

 私はまず南海のテストを受けに行った。南海がダメなら広島、両方ダメなら社会人野球、という方向も決めていた。しかし、まさか南海のテストに受かるとは思わなかった。

中学時代の通知表で正捕手は嶋に決めた


楽天監督時代、“勉強頭脳”に優れた嶋を正捕手に据えた


 キャッチャーの育成には時間がかかる。それに、これは手前味噌だが、頭の回転が良くなければ務まらない。学校の成績である“勉強頭脳”と“野球頭脳”、共通点がないようであるものだ。例えば森(祇晶=元巨人)など高校時代は成績優秀だったが、彼が高3のとき親父が事業に大失敗して、大学進学をあきらめたと聞く。実際、話をしても頭のいいのがよく分かる。

 そういう意味で、私は楽天監督時代、キャッチャー4人の中学時代の通信簿を調べた。嶋(基宏)は、オール5。「お前、10点満点の5か」と聞いたら、「5点満点の5です」と言う。勉強はできるし、頭もいい。それで、嶋を正捕手に据えた。

 ところが以前も書いたとおり、勉強頭脳には優れた子だったが、いかんせんハートが弱かった。ガッツのなさが、リードに表れた。内角を怖がり、外角一辺倒のリードになる。

 私も悪かった。ピッチャーに何を投げさせていいか分からなくなったとき、迷ったときには「原点に戻れ」と教えた。困ったら“原点”=外角低め。ストレートでも変化球でも、困ったら外角低めだ、と力を込めて言ってしまった。そのせいもあってか、嶋は外角一辺倒になってしまったのだ。

 私も2年間は黙っていたが、いつになっても変わろうとしないので、こう言った。

「俺が黙って見ていたら、ずっと外角一辺倒だけれども、お前いつも困っているのか」

 すると嶋は正直に答えた。

「はい、困ってます」

 それで、「右目でボールを受けて、左目でバッターの反応を見ろ」と口やかましく言うようにした。そういった観察、洞察により、バッターの考えを見抜くのが、キャッチャーの仕事である。バッターのほとんどは、自分の考えがキャッチャーにバレていることにまったく気付いていないものだ。

 観察、洞察の前には、備えが必要だ。備えの段階で大事なのが、打者分析。従って、分析、観察、洞察がキャッチャーの三大要素になるわけだ。そして、これも以前話した“4ペア”をうまく使い回し、配球する。やはり、嶋には「外角低め」を強調し過ぎた私の教育が悪かったかな。

PROFILE
のむら・かつや●1935年6月29日生まれ。京都府出身。54年にテスト生として南海に入団し、56年からレギュラーに。78年にロッテ、79年に西武に移籍し、80年に引退。歴代2位の通算657本塁打、戦後初の三冠王に輝いた強打と、巧みなリードで球界を代表する捕手として活躍した。引退後は90〜98年までヤクルト、99〜2001年まで阪神、03〜05年までシダックス(社会人)、06〜09年まで楽天で監督を務め、数々の名選手を育て上げた。その後は野球解説者として活躍、2020年2月11日に84歳で逝去。
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野村克也の本格野球論

勝負と人間洞察に長けた名将・野村克也の連載コラム。独自の視点から球界への提言を語る。

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