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野村克也の本格野球論

野村克也が語る「温故知新」

 

ピッチャーの“必修科目”は明らかに変わった


 前回の後日談を少し。

 南海時代にバッテリーを組んだ杉浦忠は1959年、シーズン38勝4敗の成績を挙げた。その年の防御率、実に1.40。先発、中継ぎ、逃げ切り、と杉浦が自由自在に投げる、ワンマンチームだった。当時は『セーブ』の記録がつかなかったが、20セーブぐらいしていたのではなかろうか。昔のエースはみな、そうだった。

 しかし、そういった重労働の影響もあってか、次第に杉浦もストレートとカーブだけでは抑えるのに苦労するようになってきた。そんなとき、同い年で同じサイドスロー・皆川睦雄の投球が彼の目に留まった。

 皆川は、大きく沈むシンカーが武器。1球で内野ゴロを打たせ、1アウトを取る。杉浦は、これをうらやましがった。当時、あれだけ酷使されていたから、少しでも投球数を減らしたかったのだ。

 杉浦にシンカー習得を相談され、私は大反対した。サイドスローでシンカーを投げようとすると、ボールを放すとき、手のひねりを逆回転させなければならない。

「それが、お前のあのストレートに悪影響を及ぼすんじゃないか」

「お前にはお前の味がある。皆川は皆川で味がある。サイドから投げる投法は同じでも、タイプもピッチングの内容もまったく違うのだから、やめておけ」

 私はそう言ってあきらめさせようとしたが、杉浦は聞かなかった・・・

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勝負と人間洞察に長けた名将・野村克也の連載コラム。独自の視点から球界への提言を語る。

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