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野村克也の本格野球論

野村克也が語る「野球の原点、高校野球」

 

監督の能力がチーム力に反映される高校野球


 連日、甲子園の熱戦が続いている。私もこの時期は、暇さえあればテレビで高校野球観戦だ。

 そして、これは今年に限ったことではないのだが、いつも高校野球を見るたび、野球について「当たり前のこと」を当たり前に見直している。「野球はやはり、ピッチャーだな」とか、「野球の原点は、高校野球にあり」とか。そういったことを再認識させてくれるのが、高校野球だ。高校野球は、監督の手腕がチームの勝敗を左右する。監督の能力がチーム力に大きく反映されるのだ。

 高校野球とは世代が異なるが、私もかつて、『港東ムース』という少年野球(リトルシニア)チームの監督を務めたことがある。あれは良い経験だった。まず監督と選手の間に最も大事なのは、信頼関係だ。少年野球の指導者を経験し、私はそれを再認識した。

 港東の選手たちは、100パーセント私を信頼してくれていた。その選手たちに対し、無責任な指導はできない。彼らに指導するとき、どんなふうに教えれば良いか。こういう言い方は、間違っていないか。自問自答しながら、選手たちに接するよう心掛けた。

 選手たちは平日、学校も塾もあって、なかなか練習の時間が取れなかった。だから、「塾が終わったら、ウチに来い」と言って、我が家の庭を夜の練習場として開放した。そこでブンブン、素振りをさせたわけである。「たかが素振り」と言うなかれ。何度もこのコーナーで書いているように、こうした日ごろの積み重ねが、結果につながった。

 創設から10年ほどリトルシニアの“甲子園”日本選手権(神宮ほか)に出たことがなかった港東が、私の監督就任後、選手権進出を決めたのだ。「やはり、監督で変わるものだな」と皆さん口々に言ってくれた。

今年も盛り上がる甲子園大会。高校野球を見ると野球の原点を思い出す[写真=牛島寿人]



 私も少年時代は、毎晩のように素振りをしていた。しかし、我が家のような貧困家庭にとって、“野球=遊び”である。一人親である母親は、私が野球をするのに反対だった。「野球なんかして遊んでいられるような家庭環境ではない」ということだ。

 高校生になったある晩、素振りをしようと思ったら、いつも置いている場所にバットがない。

「お母ちゃん、ここに置いていたバットどうした?」

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勝負と人間洞察に長けた名将・野村克也の連載コラム。独自の視点から球界への提言を語る。

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