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野村克也の本格野球論

野村克也が語る「誕生日」

 

ついに男性の平均寿命超え


私は現役時代、よく「バースデー・アーチ」を放った記憶がある/写真=BBM


 この号の発売日は、6月29日(一部地域を除く)。私の誕生日だ。

 ついに、81歳。男の平均寿命(2014年=80.50歳)を超えてしまう。嫌になるなあ。前にも言ったかもしれないが、80にもなると欲がなくなる。人間、欲がある間は生きる権利もあろうが、欲のない人間はもはや生きる権利もない。私も静かにお迎えを待っているところ、というわけだ。

 私には、これといって趣味がない。旅行も面倒くさいし、長生きのための健康管理に興味があるわけでもない。夏が来ようが誕生日だろうが、食べたいものを食べるだけである。

 少年時代は、よく映画を見た。これも以前書いたと思うが、私は野球選手を志す前、「金持ちになりたいから」という理由で、いくつかの職業にあこがれた。その一つが映画俳優だった。まずは見て“真似べ”(学ぶは真似ぶである)、と映画館に通った。映画を見て、主演俳優のセリフと演技を覚え、家に帰って鏡の前でマネしてみる。

 とはいえ、映画のチケットを買うお金など、わが家にはなかった。毎晩のように映画館の前へ行き、体の大きな人が来ると、その人の陰に隠れて一緒に入った。それがある日、映画館の経営者に見つかってしまった。経営者は、わが家からわずか3軒先の家のおじさんだった。

 経営者に怒られ、「母親に言うのだけは、勘弁してください」と懇願すると、「もうこんなことしちゃいかんぞ」ときつく注意された。しかし、映画俳優はあきらめ難い夢。毎日のように映画館の前をウロウロしていた。すると先のおじさんが、「もう入れ、入れ」と言って中に入れてくれた。それに味をしめ、毎日タダで映画を見ていた。

 ある日、家で鏡を見ていて、ふと我に返った。「この顔じゃあ俳優は無理だわ」。“映画俳優=男前”という固定観念があった。しかし、そうとばかりは限らない、と後に知った。まさに“固定観念は悪”である。

 今は、映画館で映画を見ることもなくなった。ただ、テレビでサスペンス・ドラマをやっていれば、つい見てしまう。謎解きや犯人探し、捜査中の心理戦が面白い。私の犯人探しはだいたい当たる。昔はヒッチコックのドラマが好きだった。最後に必ずどんでん返しがある。犯人はコイツだ、コイツだと思わせて、実はノーマークの人物が犯人。それがヒッチコックの特技だった。こんなサスペンス好きは、野球やキャッチャーという仕事につながっているのだろうか。

意識せずとも多かったバースデー・アーチ


 わが家は何度も言うように母子家庭、貧困家庭だったため、誕生日のお祝いなんて、子どものころから一度もしてもらったことがなかった。もっともわれわれの時代は、ほとんどの家庭で誕生日がめでたいとか、特別な日扱いをしていなかった。親も子どもの誕生日が来たって、知らん顔。私など、誕生日のたび母親に言われるセリフは決まっていた。

「おむつが乾かなくて本当に困った」

 梅雨時に生まれたから、そんな思い出ばかりが母親にも染みついたのか。私自身、梅雨時に生まれたせいで、こんなジメジメ、暗い性格になってしまったのかもしれない。

 現役時代は、いわゆる“バースデー・アーチ”がよくあったように記憶している。当時は今のように、記者連中が「今日は誕生日ですね」と話を振ってくることもなかったし、球場で「誕生日おめでとう」なんて言われたこともなかった。しかし誕生日当日、あるいは誕生日に試合がなければ前日や翌日、不思議とホームランが出たものだ。自分でもまったく意識はしておらず、打ってから「あ、そういやあ俺、今日誕生日だった」と気づいていた。そんな時代に生きてきたせいか、監督のころもあまり選手の誕生日など気にはしていなかった。

 今は球団スタッフや報道陣が必ず誕生日のケーキを用意して、お祝いしてくれる。私も楽天時代(2009年)には、札幌の宿舎で74歳の誕生日をチーム全員で祝ってもらった。あのときは選手会と報道陣双方からケーキを贈ってもらったと思う。「優勝が最高の誕生日プレゼント」と言ったのは、すっかり忘れていたのだが(笑)。

 誕生日といえば、今年、本誌発行元のベースボール・マガジン社が創立70周年を迎えた。6月中旬に創立記念パーティーがあり、私は残念ながら仕事で出席できなかったが、盛況だったようだ。70年といえば私より11歳若い。私も中学、高校時代には、月刊の『ベースボールマガジン』の愛読者だった。子どものころから新聞配達だのアイスキャンディー売りだのアルバイトをして、給料は全部母親に渡していた。そうしないとウチは生活できず、自分ではお金を一銭も持ったことがなかった。従って、“愛読者”といっても“購入者”ではなく、いつも立ち読み。家でゆっくり読めるようになったのは、かなり後のことだった。

PROFILE
のむら・かつや●1935年6月29日生まれ。京都府出身。54年にテスト生として南海に入団し、56年からレギュラーに。78年にロッテ、79年に西武に移籍し、80年に引退。歴代2位の通算657本塁打、戦後初の三冠王に輝いた強打と、巧みなリードで球界を代表する捕手として活躍した。引退後は90〜98年までヤクルト、99〜2001年まで阪神、03〜05年までシダックス(社会人)、06〜09年まで楽天で監督を務め、数々の名選手を育て上げた。その後は野球解説者として活躍、2020年2月11日に84歳で逝去。
野村克也の本格野球論

野村克也の本格野球論

勝負と人間洞察に長けた名将・野村克也の連載コラム。独自の視点から球界への提言を語る。

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