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野村克也の本格野球論

野村克也が語る「ドラフト会議」

 

92年のドラフトで伊藤智仁を引き当てた/写真=BBM


阪神への“遺産”は編成部大改革


 この号の発売日翌日は、ドラフト会議。心待ちにしている読者の皆さんも多いだろう。

 監督時代、ドラフトに関しては何もすることがなかった。まずスカウティングは、“編成部”の仕事。「現場として、こういう選手が欲しい」という要望を出し、その後は編成部に一任する。外国人獲得やトレードも含め、編成部のそろえたスタッフでやりくりし、戦うのが監督の仕事だと私は考えていた。

 とはいえ、編成部が現場の要望をまったく聞いてくれないのも困りものである。阪神の監督に就任して初のドラフト会議(1998年)。ドラフト前、何度も「即戦力のピッチャーを指名してほしい」と念押ししていたにもかかわらず、1位指名は高校生の藤川球児(高知商高)だった。その藤川に会って最初にかけた言葉が、「お前、ちゃんとメシ食ってるのか」。それほどガリガリのやせっぽちだったのだ。

 藤川はのちに守護神として『JFK』の一角を担い、阪神優勝に貢献した。確かに逸材だったのだろうが、一軍で活躍するまでには7年かかった。つまり、ドラフト時点で私の希望には、かなっていなかったということだ。

 翌年も、私の要望は「即戦力のピッチャー」。しかし、編成は「10年に一人、出るか出ないかの逸材」と言って、内野の的場寛壱(九州共立大)を逆指名で入団させてしまった。彼は入団前にヒザを故障しており、まともに試合に出ることもできなかった。その年の球宴休み、私はこう久万俊次郎オーナーに直言した。

「チームの成績が悪いからといって、監督をコロコロ代えて済ますのは、的外れです。チームの心臓は編成部。ここから治療しなければ、強いチームは作れません」

 あの会談は、3時間以上に及んだと記憶している。その後、オーナーは編成部改革に大ナタを振るった。部長は更迭され、スカウト陣もほぼ一掃された。こうして3年目にしてやっと・・・

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勝負と人間洞察に長けた名将・野村克也の連載コラム。独自の視点から球界への提言を語る。

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